人気ブログランキング |

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2008年 08月 14日

留めるということー夏の年(sak-pa)(65)

今という時間は、砂時計の針の穴を通ってさらさらと瞬時に過去へと去っていく。
その今という時間を、留めたい、結晶したい。
表現へのあらゆる根底には、そんな人間のもつ記憶を記録したい願いがあるに
違いない。
かって絵画の場合がそうであったように今、写真の世界にもその記録性が、写真
機械の発展とともに極めて個的な表現のツールともなりつつある。
記憶の記録が、より内面的な抽象表現となりつつあるのは、絵画の歴史と同じな
のだ。写真館に行き、七五三の写真を撮り、小学校入学の制服・ランドセル姿の
写真を撮る。つい最近まであった慣習である。それが、大きな写真機ではなく、も
っと小型で軽便なデジタルカメラ、携帯電話の写真と、特別なハレの場としての
記録性は薄れて、より簡便でより日常的な視座に記憶の記録がある。
しかし、何かを留めたい、何かを記録し結晶したいという根っ子の部分は変わって
はいないと思える。
今を思い、今を抱きしめる。その大切な今は、瞬時に過去へと送り込まれ消え去っ
ていく。その時間を留めたい、砂時計の穴を、過去と未来の内に結晶させたい。
そこに、人間の永遠への憧れが熱く潜んでいる。それを、人は時に愛とも言うのだ
ろうが、表現者はそれを絵画とも、詩とも、音楽ともいう領域で結晶させる。
瞬時に消え去っていく今を抱きしめ、記憶を記録する行為が、より高度の表現の次
元を獲得する時、その記録の結晶は個の次元を超え、ある普遍性をもつ。それを
我々は、限りなく芸術という言葉に近づけて、そう呼んでいるのかも知れない。
個人の記憶の記録が、どこまで普遍性を保てるかは、その表現の保つ深さ、同時
代性、想いの純粋性と、多くの要素が細胞としてある筈だ。時に、その記憶は個人
の内に沈むだけのものかも知れない。この個と普遍の間には、記憶を生む生の現
場の生きる行為の深度が大きく横たわっている。
技や記憶だけで、作品表現が芸術の域まで高まる訳ではない。勿論機械の高度な
技術力によるものでもない。機械というツールの進歩は、表現の枠を広げこそする
が、本質力ではない。
現代は誰でもが、センスと知能でツールを使い自己表現をする事が可能になった
かに思える。それは、それでいい事とも思えるが、その分安直さも先行する。
生きるという人間の基本的命題が、ツール化する安易さに足をすくわれるからであ
る。才能が、ツールの進化によって開花しやすく、早咲きの危うさをも孕む。
溜めが浅くなる。そんな危うさをも孕みながら、アキタヒデキ展の「点と点」は進行
しつつある。点というドットが、線となり面となる<展>の時間はまだ続く。

*アキタヒデキ展「点と点と展」-17日(日)まで。am11時ーpm7時。
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)
*gla_gal展ー9月2日(火)-7日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-21日(日)
*梅田正則展ー10月1日(水)-7日(火)
*阿部守展ー10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)
*河田雅文展ー11月1日(土)-16日(日)
*中嶋幸治・國枝絵美展ー11月18日(火)-30日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-08-14 12:35 | Comments(0)


<< さまざまな現在ー夏の年(sak...      墓参平岸霊園ー夏の年(sak-... >>