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テンポラリー通信

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2008年 08月 05日

モモとナウシカー夏の年(sak-pa)(57)

ミヒヤエル・エンデの「モモ」と宮崎駿の「風の谷のナウシカ」は、ともに少女が、
主人公である。何故か、私にはこのふたりが共通して感じられるのだ。
昨年の今頃、二風谷から日本縦断の映像「もんしえん」と「Psalm」のライブを
スタートした玉井夕海さん、かりんさん、マネージャーのいしまるあきこさんにお
会いした時も、ナウシカが話題となった。そして、なによりも3人ともそれぞれが、
現代のナウシカのような女性たちだった。
私が昨日、ジャンヌダルクな女性たちと書いたのは、実は別の言い方をすれば
、ナウシカのような女性たちとも言えるのである。
久野志乃さんも昔から、ナウシカ全巻が座右の書であるという。
本人も今回の個展で、その姿を顕したとも言える訳で、その久野さんに惹かれる
ように<ナウシカ>系の人たちが、最終日に集って来たともいえる。
現代は、そういう時代なのかも知れない。凛々しい女性たちの時代なのだ。
男は女々しく、女の腐ったような、と昔から言われる言葉が、やけに実感を保って
迫ってくる。人間としてのひたむきさ、純粋さが女性性に求められる時代とは、如
何なる時代であるのか。その意味を、今は謙虚に考えなければならない。
昨年遭難死した故村岸宏昭さんもまた、「風の谷のナウシカ」のフアンであった。
私は昨年の追悼展の時、初めて映画以外のストーリーを知り、吃驚した。
観念の純粋性にひた走り勝ちな、男性性にない現実感を保った凛々しさに心撃た
れたのである。腐海もまた現実なのだ、それを排除して世界はないという強い知性
が、そこにはある。現実の女性がすべてそうである訳では勿論ないが、衛生・安全
の真っ白な世界のインチキ性を、優れた女性性は鋭く見抜き、神と対峙するので
ある。この秀逸なリアル感こそが、真の女性性の凛々しさであると思う。
<a walk on the wild side>を<荒野を歩め>と訳す男性性に対し<wild
>は、あくまでワイルドとして捉え、「荒野」と訳す観念の虚構性を見抜く。
これは、以前にもこのブログで引用した田中綾さんの寺山修司論の一部である。
この問題は、寺山修司だけに限らず、文字通り戦後詩「荒地」の問題としても、根
が深いと私は思う。単純に女性性を、マザーコンプレックスでもあるかのような括り
方をしてきた誤差は、革められなければならない。
童話とアニメの形式をもちながらも、「モモ」と「ナウシカ」の提起する真の女性性
は、矮小なジャンルの問題に閉塞されるものでは、今決してない。

*及川恒平ソロライブ「resongs vol・8」-8月5日(火)午後6時半~
 入場料3000円・予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-08-05 15:57 | Comments(0)


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