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テンポラリー通信

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2008年 07月 27日

青い打ち水ー夏の年(sak-pa)(49)

久野志乃さんが、朝の出勤前に会場に来て仕上げた作品が3点、新たに展示さ
れた。薄いブルーで仕上げられた爽やかな作品である。
間(あいだ)を見詰めるような、内界と外界の2元性の作品構造から内側で蠢くも
のがあったのだろうか、会期の始まりとともに早朝から会場に来て作品を創り出
したのだ。きっとそれは、個展のタイトルの終わりに<、>を打ち込んだ時から
始まっていたのかも知れない。
2階吹き抜けの斜めの壁に展示された2点、入口上の横長の鴨居の位置に展
示された1点。いずれも、淡い流れるような青の線で描かれている。
打ち水だな、これは、そう思った。打ち水とは、家の入口の内と外を水の涼しさ
で繋ぐ先人の知恵である。外界の直射日光の熱さ、家の内の篭もった湿気、そ
れらを水の蒸発する力で、内外を繋ぎ熱を解放する、間を繋ぎ、放つ行為である
。作家は多分無意識の内にその行為を表現として選択している。そう、思えた。
今朝さらに、もう一点増えていたが、この作品は暖色系で、その前3点とは異なる
。打ち水は、もう終ったなあと思った。会期中の新たな作品の増加は、もう打ち止
めにした方がいい。創り続けたとしても、もうそれらを展示に加える事は、展覧会と
しての纏まりを欠く事となるだろう。
ただ、確実に言える事は、作家自身が、今回の個展を通して何かが動いてきたと
いう事である。その確かなものを、作家の内なる保水力にするべき時なのだ。
先日Aが、難しい顔をして言った。会期中に作品が増えるなんて、どうもおかしい。
一回展示したら変えるべきではない。そんな意味の事を言った。
年齢は若い筈だが、この人は意外と頭が固いと思った。物故作家でもない限り、
インスタレーシヨンや、パフォーマンス、レジデンスも含めて、作家の揺籃時間と
認識できないのはどうかと思う。いい加減にふらふらして、展示が増えている訳
ではない。物流の商品展示とは、違うのである。個展を、固展と勘違いされては
困るのだ。字にも人偏(ニンベン)が入るのである。会期中に作家自身が動く事は
、展覧会の活きの良さの証明でもある。第一線の現場が生きているからである。
昨日今日と夏の陽射しが、美しい。午後3時頃にもなると、正面の作品に陽光が
あたり、色が輝く。直接陽光の当らない所も含めて、自然の光には、あまねく光
の美しさがある。展示中も毎日作品は、生きて呼吸している。それは、見ている
だけでも分かることである。一日として、同じ日はない。密封された室内の人工灯
の前で固定された光と空間に飼育された審美眼には、この自然の光の変化は理
解されない。<今>を喪失した祭壇美術は、現代美術ではない。
時の揺籃をないがしろにして固定・固着してはならない。時間の保水力と、固定と
は別の物である。その後、Aは増えた作品を見て、その考えを改めるように、ぽつり
と呟いたのだ。”やはり、作品が増えて、展示が引き締まったな・・”

*久野志乃展「物語の終わりに、」-7月22日(火)-8月3日(日)
 am11時ーpm7時(月曜定休・休廊)
*及川恒平ソロライブ「resongs vol8」-8月5日(火)午後6時半~
 入場料3000円・予約2500円
*アキタヒデキ展「点と点と展」-8月9日(土)-17日(日)
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-07-27 14:17 | Comments(0)


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