不眠の後の所為か、昨夜は不埒な事も考えず、熟睡。
朝、冷涼な空気の中を快走。空は曇天。木々青し。
誕生日祝いのメール多々着信。
九州のTさん、こちら相当冷え込みました、そちらも、とある。こちらは、これが普通
で、Tさんの創る青白磁のようと書く。一度こちらで会いたいもの。
気がつくと、誕生メールは全部男性からで、なにか納得する自分が可笑しい。
同じ牡牛座ですねえという人もいた。
そうですね、角溜めすぎずにお互い頑張りましよう。
開廊前、フライヤーの整理をしていると目の鋭い男性が来る。
小林さんいませんかと聞く。お仕事で夕方から来ますと答えると、それじゃ、と帰る
。今日も、彼女の来る頃には会いに来る人で一杯になるのだろう。
佐佐木方斎さんの時は反対で、本人は朝からいたが人の来るのはまばらだった。
若くて美人な小林さんと、方斎さんではその差は仕方がないのだろうが、展覧会が
続いているだけに、際立って感じられる。
作品だけについていえば、どちらも作家の内面と外界の接点が迫り出して危うい
点では同じと思える。心身ともに’90年代後半に内閉した佐佐木さんの、薄い皮
膜のような、白く塗り込められた薄皮の現在と、溶解する網膜の網のような小林
さんの現在とは、外界と内界の間の現在性のバランスにおいて似ている。
ただ、佐佐木さんには”精神のラインダンス”’80年代がある。その上で、孤絶した
現在に帰還する、今の視線があるのだ。若い小林さんにはそうした時代はなく、
交友の”ラインダンス”が、内面世界とは別に今、続いているのだ。しかしその外界
との境にあるのが、網目の表象である。佐佐木さんは、その内と外の境を白い皮
膜として表現している。ふたりに共通しているのは、内側の濃い視座であろうか。
濃く閉じた時に顕われる色彩として、小林さんの赤があり、濃く閉じた後の傷の薄
皮のように顕われたのが、佐佐木さんの白であるように思う。
男性性と女性性の違いもあり、生きてきた時間の違いもありながら、今を見詰める
視線の境・界の濃さは、相違しつつも同様の視座をもっている。
白い皮膜と溶解する網膜の表象に、意識された現在の境・界が表現されていて危
ういのだ。開かれた界(さかい)とするか、閉ざされた区別・分断の境(さかい)とす
るか、その危ういバランスにおいてふたりは今、共通して現在があると思える。
*小林麻美展「風景がわたしをみている気がする。」-15日(木)まで。
am11時ーpm7時。
*岡和田直人展ー5月21日(水)-30日(金)
テンポラリースペース札幌市北区来た6条西5丁目1-8北大斜め通り西向
tel/fax011-737-5503