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テンポラリー通信

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2005年 12月 06日

及川恒平ライブそして鴨かも川

12月3日夕、急に決めた事なので、多くの人にお知らせできなかったが
及川恒平ソロライブがテンポラリースペースで開かれた。
白眉のライブだった。68分間、語りはほとんど無し。1曲ごとに拍手もなく
深い緊張感が次々と唄われる彼の声、響き、歌にはあった。
ある志(こころざし)のような眼差しの垂直な高み、深み
そのしんとした空気が、その場を支配していた。
人と場が及川恒平の声を中心に一体となって、共通の想い、感情を
見詰めていたのかも知れない。少なくとも私にはそういう時間だった。
この場所ではこれが最後のコンサートかもしれない、そういう気持ちが
場所とそこで出会った人への眼差しの深さとなって声に顕われていた
のだと想う。12月に入ってすぐ一つの裁判が決着し、立ち退きの判決
がでた。今月に、ここは閉鎖される。そんな危機的状況の時にこの
ライブは開かれた。聴衆の方々にその事実を知らせてはいなかった。
知っていたのは及川さんほかひとりふたりだった。あえて知らせる氣は
私にはなかった。なにか及川さんの声以外に余計なものはつけたくなかった。
そしてその通りのライブだった。68分の後に湧き上がるように、拍手が
響いた。ゆっくりと鳴り止まぬように・・・。恒平さん本当にありがとう。

12月4日さっぽろの古い商店街行啓通り近くで印鑑の店をしている
酒井博史さんと移転先を見て廻る。
彼は28歳の青年だが自分の生まれ育った行啓通り、東屯田通り等の
ことをよく調べ、大切にしている。一緒に歩いて、部分的に知っていた
ことが繋がりとして見えてきた。街が見えてきたといっていい。
ここには古い街の廃墟も含めて、時間がそのままある。
長屋のような入り口の続く建物、平成14年に閉じた病院の院長さんの
86歳でやめますと告知文がいまもそのまま貼られている建物、なんとか
荘というアパートの懐かしいようなたたずまい。ある時期確かに活き活き
と存在した物が、様々な事情、時代等によって寂れ、廃れ、だがその時間
を内包しつつ残っている。存在している。
さっぽろにもこんな時間の続くゾーンがあったのだ。しかもこのゾーンは
豊平川から発する鴨かも川の流域に沿って広がりできたと思えるのだ。
駅前通りは汽車の駅から発展し今も基本的にそのゾーンが繁華街である。
しかし、汽車の駅ができる以前は、豊平川を水路とする豊かな水、川を
中心としてできた繁華街ー街があった。それはより自然に近く、札幌の
ようにほとんどが計画的で人工的な街づくりとは、対照的な街と感じた
のである。鴨かも川ー中島公園ー山鼻一帯はまた独特の成り立ちが
歴史的にもあるようだ。より豊平川ー旧札幌川に近く文明機械の近代
の象徴たる汽車以前の基盤がこのまちにはある。すすきのも近いが
それ以上に神社、お寺が多いのはこの街の特色であり、人が集まる
一番プリミテイブな環境の存在した事の証拠でもある。文化を発する
磁場が少しだけみえた氣がした。いままで見てきたさっぽろとは
少し異なってより原点のさっぽろが濃い場所と思えるのだ。

by kakiten | 2005-12-06 12:08 | Comments(0)


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