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テンポラリー通信

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2008年 04月 09日

想いは現実・・-ランドとしての石狩(16)

大野一雄さんに最初お会いした時聞いた言葉で、今もって座右銘のようにあるの
はー<想いは現実、現実は想い>ーという言葉だ。想いと現実を分断して、位置
付けるのが普通だが、そこを繋いで逆転してくれた時なにか、心がすっと楽になっ
たのだ。実は、現実という言葉の中にすでにその意味があると気付いたのは、ず
っと後になってからだ。このブログにも書いたが、<現>は”うつつ”を意味し、想
いの事なのである。<実>は、元の文字が”實”でお金を表わしそれこそ現実な
のだ。二つあわせて<現實>なのである。しかしこう漢字の解釈で理解するより
、大野先生のように、<想いは現実、現実は想い>と語られた方が、すっと解る
のである。
想いとは別の言い方をすれば、志(こころざし)ということでもあり、またもっと平
たく言えば、好きという事でもある。好きがあれば、嫌いもある訳でこちらの方に
敏感な人もいる。嫌いという嫌悪の感情には、分断・区別の意識が働くから、それ
は批判という形で表れる。嫌いに強い人は、ご意見番的な斜に構えた閉じ気味の
人が多く、根は純粋な人である。誰とは言わないが、私の周囲にも2,3人はいる。
でもそういう人も、想いに強くなる、好きなことに強くなった時の方が断然魅力的に
なる。嫌いに強いよりも、好きに強いほうが断然いいのだ。想いを実践する開かれ
た行動を取るからである。嫌いの構造は、想いを温存して区別・差別の閉鎖的構
造を保つ。嫌いに強い人が、ある時好きに強くなって、開かれた姿を見るのは嬉し
い。表現とは、想いである。それを現実に実践することは、好きに強くなっていく行
為なのだ。文化・芸術という分野もさることながら、生き方としてそれが基本に必要
なのではないだろうか。現(うつつ)と實(みのり)の間を果敢に生きる。そこに、人間
としての境界(さかい)の美しさもあるように、思えてならない。

by kakiten | 2008-04-09 12:45 | Comments(0)


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