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テンポラリー通信

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2008年 03月 27日

な・ン・のルーム完成ーランドとしての石狩(4)

2階資料室棚が出来る。N君が半日かけて作ってくれた。祝いにふたりで乾杯。
その後自転車で蕎麦屋に行く。山形の板蕎麦でまた乾杯。お店のお姉さんが勘
違いしてお蕎麦がひとつだけ。つゆ入れはふたつ。ふたりでひとつと思ったらしい
。先にN君に食べてもらい追加する。どうしてひとつのお蕎麦をふたりで食べるの
。顔見てよ。まあ量の多い蕎麦屋ではあるが・・。レジデンスの報告発表を終え、
尾道に帰る前こうしてN君が棚を作ってくれた事に感謝する。なンのルームと命
名したのも彼と私の頭文字をとっての事だ。お蕎麦の遅れもあり少し酔ってもい
たので、夜の村岸宏昭作品集の打ち合わせには出られず失礼する。今日の酒井
さんのブログを読むと誰かの原稿にに不満があり、怒り心頭の感じだ。まあ今回
、出れなくて良かったのかも知れない。誰の文かは大体想像つく。1年半も過ぎれ
ば、死の直後に即反応しただけの薄さ、浅さは時間とともにメッキが剥げてくる。
死と生を結ぶ境・界が、時間の経過とともにファックスの感光紙のようにぼやけて
くる。プラスチックの漆塗りのように最初だけが良くて、時間が経つとペラペラにな
る。<あいだ>という熟成の土壌がないからだ。今という現在を、薄っぺらな過去
への排水口のように消費して、現在に過去と未来を蓄えない。現在という今から、
過去と未来に相渉る、淵のような豊かさを保たない。もうただの過去、今の自分ば
かりが表に出て、区別・差別・分断の境だけが露出してくる。生者の傲慢が地とし
て露出してくるのは、もう分りきっているのだ。死者に対してだけではない。色んな
差別・区別の境から、人も世も一見ソフトに見下し分類していくだろう。死者すら権
威のアクセサリーに過ぎない。ほんとうの境・界(さかい)を保たないこうした輩は物
流の回路と同じ、速度と量数を主軸にしているから、本当は芸術・文化ではなく、Y
電気かB電気の住人と思えばいいのだ。大そうな助成金を使って外国などへレジデ
ンスする位なら、真面目にY、B電気に滞在して、遊びながら自らに対峙するものを
見極めた方がいい。秋葉原のような新たな文化が生まれるかも知れない。妙に芸
術などで自己防御するな。妙に外国や田舎にアウトドアー的に、滞在するな。もつ
と際(きわ)に立ち、己を追いつめろ。自と他、同と異の狭間に立て。その狭間を最
初から線引きした痩せた境・界にするな。そう思う。
痩せたサカイ、うん?太ったサカイもいたな?ごめん、ゴメンね、ヒロシ~♪

*「大野一雄・吉増剛造ー境・界としての石狩」展ー30日(日)まで。
*及川恒平ソロコンサート「ReーSong」-4月5日(土)午後6時~入場料3000
 円。予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-27 11:52 | Comments(0)


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