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テンポラリー通信

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2008年 03月 21日

フラットな大基地ー界(さかい)の再生(32)

大野一雄の石狩河口公演に立ち会った翌年、吉増剛造はブラジルへ教鞭をとる
為日本を離れる。約3年間のブラジル滞在後再び石狩を訪れ、約4ヶ月逗留して
、長編詩「石狩シーツ」の制作を仕上げる事になる。この長い異国滞在経験後は
吉増さんをしてある詩作上での困難にあった時期と推定できる。その詳細をここ
で類推する事は控えるが、端的にいって詩人という表現者の根の部分に属する
逡巡といえるかもしれない。その根の国を覆う困難とは最近赤裸々に語っている
次のような時代の存在であると思う。<僕は60年間、大基地のフラットな、あの
フラットな大基地に呪縛されてきた。その下に何かがある、何かを想像することさ
え出来なかった。>(グラヌール№9)。豊かな丘陵地帯の広がる多摩の野山を
覆うフラットな大基地。その封印された大地の呪縛を、詩人はここで語っている。
「石狩シーツ」の中で、その大基地は括弧に括られ次のように記される。

  こゝが(横田基地が、・・・・・)廃墟になったとき、・・・
  崩れた築地の処に佇むように・・・少し撓んだ有刺
  鉄線に、そおっと触れて、・・・蹲ミ込み、・・・(横田基地は、・・・)
  こんなにも狭かったのか、・・・

この後の詩行で、故郷でもある多摩の福生市の発音、ふっさと重なるようにアイヌ
語の”フッサ”が繰り返し表れるのだ。

  フッサ、フッサ、・・・・
  (強く吹きつける女性の息を、
  アイヌ語で「フッサ」といい、
  病を癒やし、死を 
  甦らせる、すぐれて、女性的な。
  息を吹きつける音であった
  という、・・・)

そして

  茫然と
  たゞ
  福生の
  の
  を
  歩いていた

福生には括弧がない。<「織姫」の「山を織る声」と「濡れた山のヴィシヨン」そして
、エミリー・ディキンスンの「シーツ」のイメージとゝもに「詩」をかきつづけ>た詩人
は、<捨てられた>サッカーボールが上流へ駆け上がるように石狩を境・界にして
内なる場所へと辿り着く。そこは、<何処か奥地の子の姿、・・・>をした根の国・夕
張である。

  第一坑道に立って”女坑夫もここに命をおとし、・・・”という記述を読んだとき、
  わたしは、とうとう、こゝに辿り着いたと思いました
  ・・・
  貴女の裸体が非常に美しい「濡れた山」の「奥の地の子」を生んでいる
  女坑夫さん、女坑夫さん、
  女坑夫さん、女坑夫さん、

故郷の奥多摩に通じる織姫ー女工さんの姿と、夕張の山の奥の女坑夫との重な
る像(イメージ)の内に詩人は、フラットな大基地・横田基地の下を通底する根の
国を見詰めている。日本の近代が塞いできた現実の大きな壁。境界。その境・界
を詩人は詩人の想像力の意識の中で、闘ってきたのだ。それは、構造そのものと
の戦いである。根の国を塞がれ続けてきた近・現代のコンテンポラリーな闘いが
石狩河口を境・界として、吉増剛造の世界では奥地へと広がる開かれた境・界(さ
かい)として顕現してくる。

*「境・界(さかい)としての石狩・大野一雄と吉増剛造」ー3月18日(火)-30日
 (日)am11時ーpm7時(月曜休廊)
*及川恒平ソロライブ「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料3000円
 予約2500円
 
 テンポラリースペース札幌市北区きた6条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-21 13:33 | Comments(0)


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