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テンポラリー通信

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2008年 03月 15日

心の難民ー界(さかい)の再生(27)

ふっと、ボートピープルということばを思い出していた。ヴェトナム戦争の後、国を
捨て粗末な木造船で海を漂流しながら、難民となった人々である。裸体の少女
が泣きながら手を上げて走っている写真とともに、戦争によって分断された人の
悲劇は今も脳裏に焼き付いている。国がなくなる、ということは、境・界を喪うとい
う事だ。皮肉な事に現在は、悲劇を感じない難民の時代かも知れないと思う。グ
ローバリーズムという国際化は、国の国境を越え世界をひとつのようにしたかも
しれない。それは例えれば、世界中がケンタッキーの鶏肉、コカコーラの清涼飲
料水とある大きなマーケットの共有性を意味する。このパソコンの瞬時の同時性
もその一環であるだろう。物や情報の世界化は素晴らしい文明の力でもあるだろ
う。しかしそれが文化の問題として考えれば、必ずしも文化の力とは重ならない。
境・界を喪う事は心の難民となるからだ。物流の量数に支配された鶏肉、喉を刺
激するコカの飲料。例えば、それらが同じようなシステムで大量に世界同時に飲
食されることが真に文化の軸になるだろうか。かっては同じ制服を着た独裁国家
が世界征服を目指した帝国主義の時代があった。現代はもっと日常の貌(かお)
をして日常帝国主義が物の姿で顕われている。それも様々な局面に様々な貌を
して顕われる。駅前の貌の均一化。商店街のパック化。情報のイージス艦化。そ
して足元の境・界がなくなる。知は漂流しメル友化して携帯電話に乗ったボートピ
ープルのようだ。個と遠い他の間が瞬時に繋がるようだが、瞬時に消去もされる。
体温から発する身体性を保った間が薄いのだ。機械的道具が増幅して速やかに
タッチしてくれるが、身体性は稀薄である。五感ではなく一感乃至は二感で済む
からだ。文化・芸術は五感に拠り五感を超える。文明力は部分の増幅である。
身体という境・界を部分の増幅・肥大で巨大化し錯覚させているだけだ。木造船の
数十人の難民ピープルにとって、そこは小さく狭い空間にも拘わらず大きな希望
の場でもあったかも知れない。貧しく汚く狭いその空間とは対極にある我々の知
の難民船は、広く清潔で豊かに見えるが、境・界を越える希望の大きさは比較し
ようもないほど狭く、小さな個のなかに閉じ篭って境・界を見失った世界にいる。
境・界が保つ身体性は物量の大小、広狭ではない。

*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-16日(日)迄。am11時ーpm7時
*「ふたりの石狩・大野一雄と吉増剛造」ー18日(火)-30日(日)
 :石狩を境・界として外へカムチャッカ、内へ夕張へと開いたふたりの軌跡を再
  度辿りながら映像と音を交えて検証します。
*及川恒平ソロコンサート「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料3000
  円・予約2500円:あえてひとりで<Re>をテーマにソングの可能性を探る
  及川恒平の真摯なライブ。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-15 11:49 | Comments(0)


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