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2008年 03月 05日

ふたりの便りー界(さかい)の再生(18)

大野一雄展の展示をしていると郵便屋さんが来て、吉増剛造さんから便りが届く
。-<非常に深い、アフンルパルのruの力が ひしひしと伝わって参ります。>
-。ru:足跡・道。酒井博史さんのアフンルパル探訪記と、私のブログの感想だ
った。喜んでいる様子が感じ取れた。吉増展最終日、ロシア文学・詩人の工藤正
廣氏が来て、意見交換をする。北海道立文学館・吉増剛造展の筋が少し見えて
くる。展示の場をただのハコにしてはならない。形と容でいえば、形はハコ=box
であり、容は函、トランスである。外から描かれる<箱>と、内から溢れる<函>
。場をただのハコとして外から埋めるだけのハコモノ行政の裏返しから、界(さか
い)は生まれない。境は線引きだけとなる。線引きは、差別・区別の外からの権威
付けで形(かたち)を整える。権威というブラックホールに吸引されるだけだ。吉増
剛造はそこにはいない。吉増さんだけの問題ではない。さっぽろの文化の問題で
ある。有名無名を問わず、いい仕事を同時代人としてキューレートする事が必要
である。それにはさっぽろという界(さかい)を、保つ事だ。箱→函、形→容。
吉増さんの便りとほぼ同時刻に、パソコンに石田尚志さんからのメールが届いて
いた。カナダに1年間レジデンスに発つ前、沖縄に行った事が記されていた。一緒
にマケドニアのネダさんと行ったと言う。マケドニアはユーゴスラビアの解体の後に
できたコソボの隣に位置する小国である。紛争の火薬庫のような地域である。その
真っ只の中の人と見た沖縄の感想が、切れ切れに熱く語られている。東京生まれ
の石田さんにとって、沖縄は第二の故郷である。18歳の時吉増剛造の「アフンル
パルへ」写真展を見ているのだ。現在の石田尚志の原点ともいえる場所、それが
沖縄なのだ。カナダに1年間レジデンスする前に、彼はその原点をきっと確かめた
かったのだろう。国という国境、その境を越える時、意識の難民となる不安がある
のかも知れない。彼の国に吸い込まれ、境が消え去る不安が自国を意識させる。
己の生きている場(国)が問われる。マケドニアやコソボは難民の国である。コソ
ボの難民の少女が裸体で戦火を逃れ走っている有名な写真がある。国という境が
消える時難民が生まれる。もっと突き詰めていえば、境・界が消える時、難民が発
生する。国とは場である。場とは、今自分が生きている処である。生きている処の
境が見えなければ、心は難民と同じなのだ。戦争という過酷な状況が、日常という
緩い緩慢な状況に姿を変えているだけの違いで、境・界の喪失は難民の位相にあ
るものだと思う。一見安心な、ハコのような国や地域・街・家に囲まれている日常に
、心のコソボやマケドニアは、無縁ではない。沖縄を訪れ、もう一度18歳の沖縄と
現在の自分の沖縄を見詰めている石田さんが、熱いのだ。国境を越える。その覚
悟と緊張感が、石田さんの文に沸沸と感じられるのだった。
-<先日「アフンルパル通信」に「東京論」を書きました。・・・とにかく中森さんに読
んでいただきたいと、書いたものです。・・長くなってしまいました。5月の共和国に
向かって進んでいく所存です。>-。沖縄/東京/札幌/カナダ。その境に、石田
さんの界(さかい)が問われている。そして18歳から現在までの20年近い時間の
界(さかい)もまた験されている。<アフンルパル>を介した吉増さんと石田さん、
ふたりの界(さかい)がさっぽろを、濃い場として再生させている。ここはハコでは
ない。容(かたち)を生む函だ。そう私自身もまた、問われる気がした。

*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-3月6日(木)-16日(日)
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向 
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-05 11:35 | Comments(0)


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