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テンポラリー通信

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2008年 02月 27日

根の国・木の国そして梢ー界(さかい)の再生(12)

アフンルパルへの視線が大きく、遠く平安時代の小野篁まで跳び、あの清水寺
の舞台の下まで触れてきた。根の国は京都という地方にも、登別にも、それぞれ
の国々にあったのだ。生と死の窓口。死が近くに日常としてあった時代。翻って、
死が日常から遠ざけられ、窒息している現代。時に巨大なイージス艦のように、
溢れて姿を表わす時代。現世自体が、あの世化しているのかも知れないのだ。
ゴミの煙のように宙に浮いている都市。足元の基盤となった地はランドフィルの腐
海となって、森も泉も海も川も灰色と原色のプラステックと生ゴミで埋め立てられ
、集中する都市の排出する瘴気が、見えないところで死者の入口を塞いでいる。
閉ざされた死の世界の叛乱が吸気のブラックホール、竜巻のように突如現世を襲
う。金属バットや女の子のフィギユアが、酒鬼薔薇少年になり少年Aになって明る
い闇の顔になる。界(さかい)が消えて、ノッペラボーな白昼の傲慢が百鬼”昼”行
の世にしているのかも知れない。吉増剛造の詩の断念の宣言の動機には、この
時代への抜き差しならぬ視点がある。功成り名を遂げる現世の安住を拒否する真
摯さを、単純に気紛れのように見過ごしてはならないと思う。詩人は、いつも時代の
本質を生き抜こうと闘っているのだ。死と向き合う事で生の界を回復し、革命しなけ
ればならない時代と思う。大袈裟なことではない。日常の日々のことなのだ。今回
の吉増剛造展は、20年の歳月を経た”アフンルパル”の出現の意味を深く受け止
める為の試み、展示である。20年を経て詩人の見詰めた異界はさらに日常化しつ
つある。
<・・・とうとう僕自身もあのフラットな横田基地の大基地の下に、実は御獄(うたき)
もあるし、ダンテの地獄もあるし、エドガー・アラン・ポーもメエルシュトレエムもあの
地下にあるなっていうヴィジョヨン、幻想に到達した・・・><・・そして気がつくと熊
野の浮島行って、根の国へ行ってみたらそれも繋がっていて、下降する意識かな
と思ったら、やっぱりそれがつながって、北海道が根の国、もう一つの根の国で、
釧路の湿原だってそうだし、大沼だってそうでしょ、札幌だってそうでしょう。>(「グ
ラヌール」№9:2007年12月)。根の国への回路を詩人は語っている。日常の中
にあるその回路の側から、詩人は現世をあらためて見ている。それは現代を現象
の向こうから透視するトランスペアレントな視座である。parent-根元、源の視座
だ。<僕は六十年間、大基地のフラットな、あのフラットな大基地に呪縛されてきた
。その下に何かがある、何かを想像することさえ出来なかった。それくらい禁制が
働いていたのね。>。この横田基地という戦後の圧倒的な日常風景の向こうに根
の国を見た詩人の視座に、現代のアフンルパルを見るような気がするのだ。

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-3月2日(日)まで。am11時ーpm
 7時。
*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-3月6日(木)-16日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-02-27 13:34 | Comments(0)


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