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テンポラリー通信

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2008年 02月 21日

7、700トンと7・3トンー界(さかい)の再生(7)

父と子の生活空間に、その一千倍の物体が押しよせてくる。イージス艦と漁船の
衝突を、明視の世界の異様さに重ねていた。日常の海に非日常の巨大な戦艦が
現れる。当り前の生活空間が、当り前でない非等身大のモノに破砕される。かって
甲子園の少年の夢の象徴のような野球バットが、静かな住宅街に惨劇を起こした
事件があった。金属バット殺人事件である。おとなしい普通の少年だったように記
憶する。住宅街の閑静な明るい日常。その翳に恐ろしいモノが住む。それが、突
如出現する。不可視の暗黒が可視の真昼に隠されている。しかし、時代はもう不可
視のものが不可視ではなく、現実として顕われるようになったのだと思う。父と子と
いう間(あいだ)。同じ仕事という間(あいだ)。身体に見合った空間。界(さかい)が
、等身大に生きている世界。その界(さかい)が破壊される。壊れた界が、不可視
の闇に隠れず、せり上がってくる。海の上だけだろうか?否、陸にも同じ光景があ
るのだ。2階建ての屋根と軒下のある家。夫婦、子供、祖父祖母。仏壇があり、茶
の間があり、小さな庭もある。そこに何十階ものタワーマンシヨンがくる。等身大の
界(さかい)は、やはり破壊されるのだ。屋根もなく、軒下もないノッペラボウーな何
百倍もの家もどきが建つ。最新の電気的装備を完備した構造物である。界(さかい
)が変質する。見えないはずの景色が遠望され、足元の路地は通用路になる。近
隣が消える。車と人の出入り口とゴミ置き場。界(さかい)の風景はない。区別/差
別の線引きだけだ。住がパックされた空間は、内部がプライバシーという名の個室
である。外界は遮断されて隣がどうかは不可視である。イージス艦の個人の眼は
同じ構造で出来ている。遠くは見えるが近隣は想定外にある。敵と味方の線引き
はあるが、その境に界(さかい)はない。敵を察知する境に鋭敏だが、そこに間(
あわい)という身体性はない。死は排除という殺に等しい。そこには敵・味方という
境しかないからである。貧富という境。敵味方という境。その境からバケモノが出る
。死を殺にすりかえるのは、生者の傲慢であるだろう。生と死の界(さかい)は、本
来もっと親しく緩やかな敬意がある筈なのだ。アフンルパルがない。生と死の入口
がない。死者は見捨てられた敵でも、処理されたモノでもない。明だけが世界を覆
えば、闇との間曙も黄昏も消え去るだろう。人と人のあいだ、界(さかい)が消えて
、区別・差別の殺を潜めた明るくスムースなホワイトホール、金属バットのような世
界だ。死と生の界(さかい)の正当な復権・再生。詩人吉増剛造の闘いは、そこに
あるだろう。

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-2月19日(火)-3月2日(日)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-02-21 12:35 | Comments(0)


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