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テンポラリー通信

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2008年 02月 20日

逆さの世界ー界(さかい)の再生(6)

人間の眼の何千倍もの遠くを捉える能力をもつイージス艦が、肉眼の範囲の足
下の漁船を見落としていた。海で労働する親子船を破壊したのだ。国際貢献とい
うグローバルな視野に、足元の生活者の眼線が喪失している象徴的な事故であ
る。遠くの国の戦争に国際協力を謳いながら、身近な生活の闘いに生死の線を
引く。ここには、生きながらの逆さまの世界がある。本来見えなくてもいいものを
見ようとし、本来見なくてはいけない見えないものを、見ようとしない。板子一枚下
は地獄という。それが海で生活をする漁師さんの実感だろうと思う。生と死に向き
合って漁があるのだ。生き抜く為には、死を見詰めなければならない。かって我々
の日常には、そうした死と向き合う装置が陸の生活にも普通にあったのではない
だろうか。お盆という風習もそうだし、仏壇・神棚という死との境界・入口の存在で
ある。今死はスムースな平らな日常からは、暗渠のように不可視である。特に都
市化が進めば、死という物体は焼却炉として大量に処分される。犬猫処理場、最
終ゴミ処理場と同じゾーンにそれがある。死は処理なのだ。都市から死の影は、生
という明瞭の中に消え去っている。死者が語りかける入口・場が稀薄である。明と
暗の接点がない。界(さかい)が消えている。明るさの電気的増幅は、空の果てま
で明瞭にするが、等身大の界(さかい)を増幅の暗渠に沈めているのだ。遠くが見
えて近くが見えない。観念の遠眼化が著しく、身体の近眼化が目先の慾に走る。
本来の間(あいだ)が見失われ、内と外の界(さかい)が朽ちかけている。死が遠く
疎外され、死者が語るのを止めたとき、生者の驕りはどこまで増幅・増大するのか
。世界は明瞭という傲慢のうちに沈んでいく。小さな漁船の親子船には、正当に生
と死を生きている人間の告発があるように思えるのだ。拮抗した生と死の界(さか
い)の側からの・・・。

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-2月19日(火)-3月2日(日)。
 am11時ーpm7時(月曜休廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-02-20 13:24 | Comments(0)


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