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テンポラリー通信

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2008年 02月 16日

時計台の絵ー界(さかい)の再生(3)

細かく煙るような雪が、風も交えて視界を塞ぐ。粉雪(こなゆき)・糠雪(ぬかゆき)
・細雪(ささめゆき)。白い灰色の世界だ。道も消えて、靴に雪が絡む。小さなラッ
セル。コンビニで弁当を買う。ふっと見たガラスに映る自分が雪男のようだ。ギヤ
ラリーに着くとすぐ雪掻きだ。隣のテーラーさん夫妻が、朝からもう何度もしてい
るのよと話す。もう一軒のお隣さんが、こんなに続く冬もないなあと話し掛けてき
た。ともに汗をながして、ご近所とのつながりがある。界の共有と思う。
昨日久し振りに横浜の大野慶人さんに電話する。大野一雄さんの様態を聞く。近
くの病院に入院中で、鼻に管をつけて栄養補給をしていると言う。百歳を越え体が
心配だ。今考えている「石狩・5月の共和国」の話をする。郡司正勝先生が慶人さ
んの為に遺した戯曲をいずれ札幌で公演したいと思っていた。すると、慶人さんが
、なにか嬉しそうに言った。「メイですよ、来年5月ちょうど私の舞踏50周年にあた
るのです。」。お父上の一雄さんが石狩河口で踊ったのは、1991年の9月だった
。今度は息子さんの慶人さんが、内陸の源流域で踊るというイメージが以前から
あったのだ。札幌薄野界隈でお生まれになった郡司正勝先生が、慶人さんの為
に創った遺作を是非札幌で公演したいと思う。郡司先生が亡くなった時宮の森の
ご自宅まで、慶人さんとふたりで弔問に伺った事があった。その時帰りの車の中
から北一条の旧鬼窪邸あたりで、この北一条通りが白秋の「この道」という歌を生
んだゾーンですよと話して吃驚された事がある。慶人さんの最初の舞台の音楽曲
がその歌だったのだ。さらに東京で郡司先生の遺作を初演した際に、振付師のフ
ランス人がやはりこの曲が一番いいよと選んだのも「この道」だった。この挿話を
慶人さんが、この公演のカタログに記していた。今回の久し振りの電話で、5月が
慶人さんとの間にキーワードのように共通してきた。時間も場所も隔てた間に、不
可思議な空間、界(さかい)が存在する。そこを我々は自由に、行き来している。
そして、声を弾ませるように慶人さんが語った。「病院に、病院の病室の壁に絵が
架かっているんですよ、これが、時計台の絵なんですよ、誰かが寄贈してここにあ
るんです。」そうか、と思い暫し言葉が途切れた。私がイメージしていた慶人さんの
さっぽろ公演の場処は時計台ホールだったのだ。鮭が川を遡り、子を産む。その
子の場、さっぽろでそこで慶人さんが踊る。そんなイメージがあったのだ。大野一
雄の石狩河口、郡司先生そして慶人さんのふたりを結ぶさっぽろが、5月の共和
国にイメージされるのだ。人の心の遠く時空を跳ぶ空間、その関係性。それこそが
、界(さかい)の復活・再生の火花である。

*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-明日17日(日)まで。
*吉増剛造展「アフルンパルそして石狩」-2月19日(火)-3月2日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737ー5503

by kakiten | 2008-02-16 12:19 | Comments(0)


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