細かく煙るような雪が、風も交えて視界を塞ぐ。粉雪(こなゆき)・糠雪(ぬかゆき)
・細雪(ささめゆき)。白い灰色の世界だ。道も消えて、靴に雪が絡む。小さなラッ
セル。コンビニで弁当を買う。ふっと見たガラスに映る自分が雪男のようだ。ギヤ
ラリーに着くとすぐ雪掻きだ。隣のテーラーさん夫妻が、朝からもう何度もしてい
るのよと話す。もう一軒のお隣さんが、こんなに続く冬もないなあと話し掛けてき
た。ともに汗をながして、ご近所とのつながりがある。界の共有と思う。
昨日久し振りに横浜の大野慶人さんに電話する。大野一雄さんの様態を聞く。近
くの病院に入院中で、鼻に管をつけて栄養補給をしていると言う。百歳を越え体が
心配だ。今考えている「石狩・5月の共和国」の話をする。郡司正勝先生が慶人さ
んの為に遺した戯曲をいずれ札幌で公演したいと思っていた。すると、慶人さんが
、なにか嬉しそうに言った。「メイですよ、来年5月ちょうど私の舞踏50周年にあた
るのです。」。お父上の一雄さんが石狩河口で踊ったのは、1991年の9月だった
。今度は息子さんの慶人さんが、内陸の源流域で踊るというイメージが以前から
あったのだ。札幌薄野界隈でお生まれになった郡司正勝先生が、慶人さんの為
に創った遺作を是非札幌で公演したいと思う。郡司先生が亡くなった時宮の森の
ご自宅まで、慶人さんとふたりで弔問に伺った事があった。その時帰りの車の中
から北一条の旧鬼窪邸あたりで、この北一条通りが白秋の「この道」という歌を生
んだゾーンですよと話して吃驚された事がある。慶人さんの最初の舞台の音楽曲
がその歌だったのだ。さらに東京で郡司先生の遺作を初演した際に、振付師のフ
ランス人がやはりこの曲が一番いいよと選んだのも「この道」だった。この挿話を
慶人さんが、この公演のカタログに記していた。今回の久し振りの電話で、5月が
慶人さんとの間にキーワードのように共通してきた。時間も場所も隔てた間に、不
可思議な空間、界(さかい)が存在する。そこを我々は自由に、行き来している。
そして、声を弾ませるように慶人さんが語った。「病院に、病院の病室の壁に絵が
架かっているんですよ、これが、時計台の絵なんですよ、誰かが寄贈してここにあ
るんです。」そうか、と思い暫し言葉が途切れた。私がイメージしていた慶人さんの
さっぽろ公演の場処は時計台ホールだったのだ。鮭が川を遡り、子を産む。その
子の場、さっぽろでそこで慶人さんが踊る。そんなイメージがあったのだ。大野一
雄の石狩河口、郡司先生そして慶人さんのふたりを結ぶさっぽろが、5月の共和
国にイメージされるのだ。人の心の遠く時空を跳ぶ空間、その関係性。それこそが
、界(さかい)の復活・再生の火花である。
*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-明日17日(日)まで。
*吉増剛造展「アフルンパルそして石狩」-2月19日(火)-3月2日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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