テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2008年 02月 12日

界(さかい)の思想ー視線と拠点(59)

寒と暖、明と暗、水と土、自然を見ていると、その境目が美しい。ふたつの異なっ
た領域が相渉って第三の空間を創っている。一方が弱ければ文字通り一方的に
偏ってくる訳だが、拮抗してどちらにも属さない独自の領域を形成するからだ。寒
と暖の狭間に氷柱がある。水と土の狭間に岸がある。湿原がある。波打ち際があ
る。明と暗の間に黄昏があり、夜明けがある。間(あわい)という。媒介ともいえる。
皮膚のような、内界と外界のあわい(間)、ナイーブな触れるところ。そこでは、ふ
たつの世界が明確に対峙し相渉る充実がなければ、真の界(さかい)は生まれな
い事を示唆するものがある。中央ー地方という人為的な構造からは、界の美は生
まれない。先験的に一方が強く他を吸引していくからだ。正確には、地方ー地方の
拮抗の内にこそ、界の美が生まれるはずだ。明治の時代に西洋と対峙した日本が
美しいものを生む事が出来たのも、その対峙があったからこそだ。洋館建築にみ
る和洋の技術の対峙と調和が、それである。洋館といってもまるごと西洋ではない
。和独特の漆喰の技術も生きている。ふたつの文化の間で第三の美を創っている
。古くは仏像にもそれがある。弥勒菩薩がそうである。朝鮮半島の影響を受けなが
らも独特の優美さがあるからだ。界(さかい)を一方的な優位性から線引きする区
別・差別の境(さかい)におとしめるのは、衰弱と言っていい。富と力を政治と経済
とするなら、政治・経済は差別・区別の境を必然的にその本質に胚胎しているの
かも知れない。ひるがえって、文化がそうであれば、それは文化の衰弱以外の何
ものでもないのだ。文化に地方を強く回復させなければ、地方は有名性の差別・
区別の闇に吸い込まれ、埋没して、ただ中央に隷属する場末・辺境の乾いた存在
でしかなくなる。美しい界(さかい)を創ることは、境(さかい)のブラックホールに吸
い込まれない為の磁場、その闘いの現場でもあると思える。その磁場の創出を他
に振り替え、スムースなスムースなステージへと消えていくさっぽろを、リパブリッ
クしなければならない。


*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-17日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2008-02-12 14:05 | Comments(0)


<< 小林由佳展ー視線と拠点(60)      氷柱と眇洩(すがも)りー視線と... >>