暖かいのだろう。屋根の氷が溶けて、眇洩りをしている。氷柱が美しいとばかりも
云っていられない。沖縄は十何度とかいう。根室は氷点下十度。二十何度も温度
差がある。それぞれの地方が固有にある事を思う。日本とひとくちにいっても、そ
の国家の枠は、あくまで人間社会の人為的な線引きであって歴史を遡ればその
時代、時代で別の国家だったりする。自然の在り様の方が、正直なのだ。いまだ
行った事のない沖縄の友人豊平ヨシオさんは’90年代に個展をして頂いてから
いつも熱く来て下さいとラブコールを送ってくれる。琉球王国、薩摩藩、大日本帝
国、アメリカと南の固有の島々が時代によって統治され、今も到る所に戦いの傷
を潜ませている国と思う。北海道とともに開発庁が置かれ、大臣がいて開発の対
象とされた所である。もともとの住民の比率が高く、北海道とは逆であるから、地
元意識も高いと聞く。従ってその独自の文化は、北海道より固有性が濃い所と思
う。この気候も植生も風俗も違う南と北のふたつの島が、文化の面でも異なるの
は当然であって、その固有性をそれぞれがどう認識しインターローカルな視点を
持ち得るかは大切な文化上の課題と思われる。それにはやはり北海道がしっかり
と自らの固有性を保ち得るかどうかが問われるのだ。同じ沖縄でも、島によってそ
の生活・文化が違うと聞く。それは北海道においても根室と函館では違うのと同じ
である。生きている場の地方性、固有性を簡単に括る事はできないのが本筋とい
うものだ。物流の合理化、スピード化はグローバルという名のもとそこを均一化し
ていく。その結果地方・国は喪失して、のっぺらぼーでスムースな凸凹のない世
界が出現する。開発という名で一元化された近代のこのパブリックな公共という化
け物こそが、今最大の文化上の敵と私は思う。物流の便利さの一本道路に飲み
込まれた情報の一局化、文化の舗装化、街の均一化、そうした日常と闘う視点な
くして何がコンテンポラリ-アートと言い得るのだろうか。自らの界(さかい)を明ら
かにする事を怠って、界を越境する氷柱の美しさも、眇洩りの強靭さもない。漁師
が荒廃した地場・海の為に、山に木を植える英知も育たない。
*小林由佳展ー2月12日(火)-17日(日)am11時ーpm7時
*吉増剛造展ー2月19日(火)-3月2日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
tel/fax011-737-5503