村岸宏昭作品集刊行の集まりが昨夜ある。毎月一度の集まりである。雪のなか
歩いていつもの場所に向かった。先日お母様がお見えになった折、なかなか村
岸が死なないですねえと不用意に発言したら、帰って私のブログを読んで意味
が解かりましたとメールを頂いた。高臣大介展初日のオープニングパーテイー
の事を書いたものがそうだったのだろうと思う。この日だけではなく何かと彼が出
てきて自分でも不思議に思える事があるのだ。昨夜の集まりには未見のノートが
多量に出てきた。ブログに記す以前の手書きのこのノートは肉筆だけに心に迫る
ものがあった。彼の感受性の原点のように思われた。音楽と美術と詩のような文
章と分野は分かれるが、その根っ子にあるものがここには塊としてあるようだった。
習作時代の放浪する作品群を経て死の半年前位に、彼の表現行為は集中してい
る。このノートを読み解けばその感受性の原点がひとつ明らかになるだろう。私の
ところでした最後の個展「木は水を運んでいる」と背中合わせのようにその前の「
あらゆる距離の場に囁きよ来い」展があり、このふたつに集約される美術の行為
に音楽への眼差しも、言葉の行為も包含されている。そしてその根っ子にある感性
の多彩なきらめきが、ノートの言葉には羅列されてあるのだ。死ぬ2年前の春、教
育大学の南聡先生の門を叩き作曲の勉強を始めた頃から、彼の習作時代は終わ
りを迎え、本格的な表現の道が始まっていったかに思える。初めて彼に会った時の
印象を南先生は、次のように書いている。
ー「・・まだ木々の芽吹かない春の早い時期、その若者はぬーッッと我が仕事場に
現れた。・・・パーマをかけた座敷童子のような髪型、痩せていて背が高くて、ズタ
ボロファッシヨンの、それでいて優しく穏やかな雰囲気をした若者、という若者であ
った。」ーこの「座敷童子型ズタボロ系」の若者は、古典和声法の勉強から素直に
従って、2年後には12音技法による対位法の訓練まで始めたと南先生は書いてい
る。そして彼の死後遺された楽譜原稿の整理と遺作の演奏の可能性を探りながら
次のように気付いたと記している。
ー「その結果、私は、決して広くもなく多彩でもないが、思いも寄らないほど実直で
繊細な魅力を備えた彼の音楽空間がぽつかりとあるのをみることができた。」-
この深い愛情に満ちた文章を昨夜拝読させて頂き、私はやはり今だ死なない村岸
さんと出会っていた。<まだ木々の芽吹かない春の早い時期>と記された南先生
と村岸さんの出会いの季節のように、彼自身の記憶されるべき仕事は、まだ蕾のま
ま埋もれてあるのだ。高臣さんの透明なガラスが光の母胎のように光の種子を留
めているように、彼の命の痕跡もまた光を溜めている。いい作品集を造りたいと思う
。それは追悼ではなく、同時代のさっぽろを生きた光の記憶の種子として、我々の
時代の心に根ざすものとして、である。
*高臣大介冬のガラス展「雪と花光とgla_gla」-2月3日(日)まで。am11時ー
pm7時。2月1,2,3日作家在廊。
*収蔵品展ー2月5日(火)ー10日(日):一原有徳・村上善男・坂口登ほか展示
*留美・碇昭一郎ジョイントライブー2月8日(金)午後7時~入場料1000円
*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-2月12日(火)-17日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
tel/fax011-737-5503