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テンポラリー通信

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2008年 01月 20日

寒気鋭くー視線と拠点(37)

朝晴れて、寒気鋭く身を射す。今日で森万喜子展も終る。太陽に黒点がその白
光のうちに在るように、森さんの作品にはただ明るい、暖かいだけの軽さはない。
冬の寒い日に、特に暖かさ明るさを強調する事は単なる直反射の感想から一歩
もでない。この彩(ひかり)は、いわば黒点を内包する彩(ひかり)の色なのだ。そ
の事が、この作品を暖かくさせている。内から発するものがあるからである。呼気
があるからだ。酒井博史さんの歌い初めの夜、寒い寒いと縮こまっていた息子ク
ンが心開いて吹き抜けの2階を、外を駆け回っていた。周囲は、秘密の入口に満
ちていた。世界は新鮮な入口に満ちている。何でもない普通の家屋さえ、心発す
る時、世界は様々な色彩の光の入口を保っている。吸気に閉じようとする世界、
否定を優先し出口を探す世界。そこからはメタボリックな観念肥大と選別・区別
の境界線しか生まれない。優れた作品には自ずから発するものがある。子供が
保っている邪気・無邪気にもそうした自然がある。純心というオブラートに包まれた
観念ではない。邪気と無邪気の混合である。純心という善意の固まりを措定する
大人の観念的象徴化は、単なる感傷的ロマンに過ぎない。邪気と無邪気を併せ持
ってエネルギーが爆発する。それが子供のエネルギーである。子供の心身は好奇
心と探索に満ちていて、その発露の入口を見つけた時一気に集中する。世界は新
鮮で、色彩に満ちてある。そのエネルギーの入口を大人は閉じた観念の扉に切り
換える。それを社会的生活とする。入口は扉をもつ。沢山の鍵をもつ。さらには個と
いう有限の枠を作りその中にしまい込むように、国家や地域というエゴの扉を固め
る。入口は関所のように観念の出入り口となって審査され監査される場となる。入
口というチャンネルが固定化するのだ。この内部肥大の帝国主義は右翼的にも左
翼的にも同じ構造である事はすでにスターリニズムで歴史的にも証明され、それが
現在の経済産業社会となっても事情は変わらない。ブランド崇拝やある種のグロー
バリゼーシヨンとなって顕在化しているからだ。それはさらに日常化されより巧妙に
潜在化している。例えば子供の遊具にすらその構造はあって遊びを観念的に措定
した一方向の遊具が公園化している。路地裏が消え、遊び場を指定した囲い込み
の場があるのみである。自らが発露する遊具も場も囲われて貧困である。子供の
置かれている環境はそのまま大人の社会の貧困を映し出している。森さんの絵に
はその貧困がない。自らが発する彩(ひかり)がありその光彩のなかで見るものが
自由に発露する事が可能であるからだ。絵画の色彩が、輝点と黒点の炎の彩(ひ
かり)の内に多くの入口を用意しているからだ。

*森万喜子展ー20日(日)まで。午後5時終了。
*高臣大介冬のガラス展「雪と花光とgla_gla」-22日(火)-2月3日(日)
 :22日午後7時~太田ヒロパーカッシヨンライブ・入場料無料(投げ銭歓迎)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-01-20 16:30 | Comments(0)


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