冷え込んだ空気に澄んだ空、山並みの稜線が美しい。通勤途中、西の空が青く
輝いていた。山々の白い峰、その境界を囲む青い透明な空。自然が見せる境は
何故こんなにも美しいのか。対立や区別の冷たい境界がない。それぞれが他を
引き立てるように重なり合い、光っている。境が活き活きとしている事は命に活力
を与えてくれるようだ。光と彩(いろ)があふれているからだ。息吹(いぶき)という。
吸込むことの反対にあるもの。その発するなにかを感じていた。地下に潜る。地
下電車に乗る。目的地までの閉じた時間が過ぎる。出口に急ぐ。再び地上へと出
る。手稲山の山稜が堂々たる姿を見せていた。滑る足下に気をつけながらも眼は
遠い山並みと青空を見ていた。地下の暗闇を電車が走り、出るとそこは中央区か
ら北区へと地域が変わる。中央区の足早な多勢の人たち。北区のまばらな人込
み。氷柱のある窓。広い空。首を45度以上傾けないと見えない空。ふたつの空を
経験する毎日だ。人が密集し足早に急ぐ街路を都心という。人がまばらで空の広
い界隈を場末などという。人間が作る観念の境に美しさはない。区別と差別の境
である。街に氷柱は見えない。のっぺらぼーの高層建物には、氷柱落下は凶器
ともなるからだ。だから、建物に軒下屋根が消える。場末にはツララが似合う。屋
内から見えるツララに光が溜まる。陽光が煌めく。夕暮れにはツララが青く染まる
。この豊かさに区別・差別はないのだ。氷柱のないのが都会と思う。境の光を忘れ
た田舎のプレスリーは道化である。宣伝看板が自己主張のエゴのように多く醜い
街中では、宣伝看板に食傷気味となる。案内音声の過多にも食傷気味の街路・
地下電車。風と光の地方・場末には、境が生きている。界(さかい)が活き活きとし
ない世界は、線引きの、型取りの、マネキンのような世界だ。ここには吸気の吸込
むものだけが陥穽のように満ち満ちている。もし世界中の飲み物がコカコーラにな
る事、それがグローバリゼーシヨンなら、インドのテイーもモンゴルのチャイも消え
て大竜巻きのように吸込まれ画一化する。この経済の吸気が文明化といい近代化
というなら、真の文化はこの竜巻のような吸気のエゴとは、闘わなければならない。
界(さかい)を取り戻さなければならない。界(さかい)の触れる新鮮なタッチ。それ
をグレーゾーンの縁(へり)にすり替え、権力の吸気に巣食う病んだ境(さかい)に
取り憑くものが今、真の敵である。
*森万喜子展ー20日(日)まで。am11時ーpm7時。最終日午後5時終了。
:18日(金)午後7時~酒井博史歌い初めライブ・入場無料(投げ銭歓迎)
*高臣大介冬のガラス展「雪と花光とgla_gla」-22日(火)-2月3日(日)
:22日午後7時~太田ヒロパーカッシヨンライブ・投げ銭歓迎。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
tel/fax011-737-5503