森万喜子さんの個展初日、後藤和子さんが来る。昨年7月の後藤さんの個展の時
森さんが見えたのが今回の個展のきっかけになる。ふたりは久し振りに同じ会場
で顔を遇わした。表面的には対照的なふたりの作風。後藤さんはブルーを主体に
した水の青い筋肉のような輝きを保ち、森さんは暖色を主体とする光の粒子を保っ
ている。この水と光という対照的な色彩の煌めきは根本的な処で優れた女性性か
ら発しているように思われる。現代の我々を取巻く様々な社会的状況に対しそこで
対峙し格闘する事が現代美術の優れた特性のひとつである事は自明の前提であ
る。しかし現代という時代は人間の造った社会という環境を越えてさらにその社会
を取巻く根っ子の環境ー自然環境そのものにまで地球規模で視線が及んでいる
。アマゾンの熱帯雨林が大豆畑や玉蜀黍畑に取って代われば地球全体の温度の
生理が狂い、地球の裏側の遠い出来事ではなく身近な日常の異変として現われる
ことを我々は知っている。玉蜀黍や大豆が日常の生活に深く関わり、自動車や暖
房や冷房を提供する石油が自然と日常の根底で深く関わっている事に我々はもう
気が付いている。電気力の享受が原子力発電の供給を三分の一までに押し上げ、
日常に原子力が不可欠のものとなり、原子力が国家の軍事力だけに依拠するもの
でなく日常に依拠する存在である事もチエルノブイリ以降の我々は知っている。国
家を基本とする社会的状況からもっと地球という自然環境を軸に現代という社会は
成り立っている。男性性が国家とか社会とか既存の環境に振り回されている時、女
性性はその社会の枠を易々と超え、自然としての本源的な環境から現代を撃つの
である。森さんの<光>や後藤さんの<水>が極めて現代的でラデイカルな所為
もそこにある。絵画として抽出された青い水の筋肉そして抱擁する光の血粒とも思
える極めてプリミテイブなこれらの作品は、社会的ライフラインの基準を超え生命の
ライフラインのから発しているのだ。かっては社会的なものから遊離して自然として
存在した光・水という自然存在はもうすでに強く社会的存在として重なっている。こ
の事はすでに水が事業として成立して普通に売買されている事からも明白な事だ。
水と光が自然そのものであった時代はすでに古典的な時代となり現代は水も光も
社会的要因として存在し、かつその本源的な力を今再び必要とされているのだと思
える。<女性性は社会性と対抗する概念なので、どんな社会にも帰属しえない、要
するにwild sideの性質をもつ。>(田中綾)と定義された<wild side>こそ自然
に最も近い女性性であるだろうと思われる。現代という時代が自然を社会的要素と
して繰り込まざるを得ない危機的時代である時この優れた女性性こそがコンテンポ
ラリーな課題として浮上してくるのだ。水と光のイマージンは風のイマージンとしてさ
らに男性性としてのイマージンを呼び覚まそうとしているのかも知れない。
風立ち、風冴え、風光り、風薫る、風の四季を促がすように・・・。
*森万喜子展ー1月9日(水)-20日(日)am11時ーpm7時
*高臣大介冬のガラス展「雪と花光とgla_gla」-1月22日(火)-2月3日(日)
:22日午後7時~太田ヒロパーカッシヨンライブ
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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