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2008年 01月 07日

間(あわい)に漲(みなぎ)るー視線と拠点(24)

菱川善夫さんの連載コラム「物のある歌」最終回が昨日の道新に掲載されていた
。通し番号が記されていないので何回続いたのか不明だが1992年から連載が
始まったという。毎週一回の新聞紙上で一首の短歌を選び鋭い批評でその世界
を広げた。菱川善夫が切開し開示する一篇の短歌は、時として一篇の長編小説
のようにすら感じられた。それ程深く濃い見事な批評のペン先、刃であった。最後
となった昨日掲載の文とやはり死後に掲載された前回の文に共通する<命>と
いう言葉が胸を打つ。ー「時に流されるのではなく、みずからの<時>を引き戻す
ことで、人もまた存在の根拠をつかみなおすのではないか。・・冬にむかう潮のざ
わめきとともに、生命もまたよみがえってゆくのだ。」「・・・太陽柱。柱と言っても、
硬い直線で描けるようなものではない。霧氷が飛び散って透明感を高める流動的
なエネルギーが、そこには溢れている。・・・まばゆし太陽柱!には生命再生のよ
ろこびが重なっている。」ー前者は<冬濤>という冬の濤(なみ)から弾き出した
一節。後者は<太陽柱(サンピラー)>という大気中の氷片が陽光に反射して立
ち上がる光の柱からの一節である。ともに冬の季節の歌を選び命の再生を指摘
している。この時にはもう迫りくる自らの死を予感し、それと対峙していたかにも私
には読み取れるのだ。身体としての自然が生と死の間にある時その境には暁や
黄昏のような相渉る時がある。相互に浸透しあう触れる時間。この世とあの世の間
(あわい)。その境を見詰め生の根拠をつかみなおすことが今を生きる証だったの
ではないか。生と死の境がくっきりと一線を画しその境に儀式の社会構造が割り込
み肥大化する現代に生と死の間(あわい)は消去されつつある。死の病を目前にし
て、冬の濤と冬の光を見詰める菱川善夫の眼はこの時すでに生と死の間(あわい)
に触れていたように思う。<よみがえって><かさなって>いる生と死の境。自然
の境(さかい)にはそれがあるのだ。明と暗の境に暁があり黄昏があるように。<硬
い直線で描けるようなものではない。霧氷が飛び散って透明感を高める流動的な
エネルギーが、そこには溢れている>。この境(さかい)を表現する文章に菱川善
夫の死と対峙する生の燃焼が祈りのように美しく漲(みなぎ)っている。

                      ***

ちから溜め噴きあげふいに底をみすおほき流動体 冬濤は (村上敬明)

冬天をほぐれつ透きつ霧氷散りまばゆし太陽柱(サンピラー)! 遇へりたまゆら
 (佐藤てん子)
                      ***

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*高臣大介冬のガラス展「雪と花光とgla_gla」-1月22日(火)-2月3日(日)
 :花・佐藤花光 ガラス・高臣大介:22日午後7時~太田ヒロライブ
*冬の収蔵品展ー2月5日(火)-10日(日)-一原有徳、坂口登ほか。
*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-2月12日(火)-17日(日)

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by kakiten | 2008-01-07 15:51 | Comments(0)


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