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テンポラリー通信

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2007年 12月 31日

パンドラの箱ー視線と拠点(20)

今年も今日で終る。振り返れば死者への想いに満ちた1年だったとも思える。留
守中村岸宏昭さんの資料が北村先生から送られ届いていた。彼の遺したブログ
のコピーである。また最後の個展となった「木は水を運んでいる」のドキュメントも
併せて綴じられていた。その内容は私のブログからの抜粋で構成されている。あ
らためて彼が編集した自分の文章を今は感慨をもって読む。その日、その時間に
しか書けなかった文である。その毎日の記録を故人はきっと嬉しくそのまま構成し
編集して自分の個展のドキュメントとしたのだ。そのなかで最後に引用されていた
一節がある。ー<作品にとってその光を発する万華鏡のような装置、函、それが
ギヤラリーという空間である。箱ではない。集まり、溢れる函なのだ。大函、小函
と川の水の集まり溜まり溢れるその函だ。>-この半月後に四国の鏡川で遭難
死した村岸さんはこの時どのような気持ちでこの文章を最後に置いたのだろうか。
鏡川という名前の今だ見たことのない遠い四国の川。その名前からイメージされ
る深い淵を保つ川。そこにはきっとこの文のような函があるのかも知れない。暮れ
も押し迫った昨日この文章を手にして何か今年1年を象徴するように思えてならな
い。ハコはハコでもパンドラの箱だったなあと思う。-パンドラの箱:ゼウスがパン
ドラに与えた箱(開くと災難と苦悩が飛び出し、希望だけが残った)-ギリシャ神話
。ハコに集まり溢れるのは光だけではない。災難と苦悩もまた、溜まり集まる。悪
意や殺意、誹謗と中傷、シカトと密通。そんな負のものも集まり溢れる。妖怪とゾ
ンビが猛り狂うような情念の絡み合いもまた封印から解かれて函となる事もあるの
だ。この1年を思えばそんな1年でもあったようにも思える。その意味では昨夜のラ
イブドローイング「乱」は封印を解かれたふたつの情念のパンドラの箱のようにも見
えた。多勢の観客はお化け屋敷の前に立つオドロオドロした雰囲気の内にいたよう
に思う。この1年の災厄、災難、苦悩のすべてが凝縮され飛び出しているようであっ
た。先が見えないと指弾され、みんながそう見ていると当てこすられた負の総決算
が集約しているようであった。影のゾーンが集まり、顕在化して襲いかかってきた。
先日さる番組で三船敏郎が最初に役者のオーデションを受けた時の逸話を見た。
多勢の審査員のみんなが三船敏郎の生意気な態度に不快感をもち落第がほぼ決
まりかけていた時たったひとりの審査員だけが評価したという。そのひとりが黒澤
明に三船を紹介し後の三船敏郎へと繋がったという話だった。この時の<みんな>
とは何だろうか。世間というものだろうか。この<みんな>という多数に拠ってそれ
に便乗してひとりを抹殺しようとする権力寄生の圧力とその多数に拠らずひとりを
評価する希望の力とこのせめぎ合いにこそ本当の<ひとり>の戦いがある。その
戦いこそが希望という名の意志なのだろう。深い淵の水の底から1年以上経って届
いた村岸さんの遺した文章の数々はきっとパンドラの<函>のように希望の存在を
同時に伝えてくれたのかもしれない。力足りず苦悩と親しい人との別れに立ち会っ
た1年であった。再び自らが信ずるさっぽろという海に向かい小さく狭いこの函を熱
く凝縮し溢れていきたく思います。今年最後のブログは多少私事に偏ったかと思う
。許されたく・・・。

by kakiten | 2007-12-31 16:14 | Comments(0)


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