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テンポラリー通信

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2007年 12月 22日

縁(エッジ)の位相ー視線と拠点(16)

祖父は京都が好きだったようで関西には親戚が多い。私からすると従兄弟にあ
たる○○ちゃんと呼ぶ人が大阪近くに住んでいる。祖父には11人の子供がいて
4男の私の父を除いて他の多くは北海道から出ている。そんな事もあり関西に行
く機会が仕事も兼ねて多かった。大阪・神戸・奈良・京都とその周辺をよく歩いた。
近接したこれらの都市はそれぞれが個性的で今よくある大都市周辺の衛星都市
とは違う。それぞれに中心があってそれぞれの境目のエッジがある。駅前の風景
のパターン化は進んではいたがそれでも街の空気は違うのだ。思えばある時代
までお国土産とかお国自慢とかいう言葉が有効だったようにある中心を保ったそ
れぞれの<お国>がありその中心となる都市は独自の雰囲気を濃く保っていた
のではないだろうか。中心がそれぞれ在ればその縁(へり)もまた独特の匂いを
保つ。東北は東北の九州は九州の関西は関西の独特のゾーンを保つ。一国一
城の主と言う。住めば都(みやこ)とも言う。この<国>も<都>も自主性の為せ
る言葉と思う。それぞれの国や都の周辺に文化のエッジ=縁(へり)がある。その
境目の緊張感・摩擦が文化の母胎となる。場末は至る所にあり国境にも都市の周
辺にも在って俯瞰すればみちのくという国の場末もあり、もっと近くにみれば川向
こうという場末もあっただろう。中心が沢山存在したからである。中心が沢山存在
すればその中心に対峙する縁(へり)もまた沢山存在する。現代のような個という
痩せた観念を使わなくとも個的環境がもっと状況としてかっては存在したのかも知
れない。食い倒れ、着倒れ、履き倒れと称された三通りの文化の相違は三つの都
市の風土・個性の相違である。政治・経済の均一性に抗うのは文化・風土の個性
だ。東北でも南部と津軽の相違がある。九州にもあるだろう。近接する地域でもそ
のエッジには違いを明確にする個の緊張感が活きている。場末が元気なのだ。身
体に例えれば末梢神経・毛細血管が活き活きしている。樹木に例えれば梢・根の
先が元気なのだ。心臓や幹を端末である場末・境目が本当は支えている。中心と
拮抗している。従属はしていない。境目の無い時代のように現代を語る事も多いが
真の境目を保たなければそのオーバーフエンスもまた無い。木が水を運び、森が
海を創る。それは決して同一化ではない。有機的に活き活きと関わることはそれぞ
れがそれぞれであり、触れる緊張、触れる縁(ふち)の炎を保つこと。触れて燃える
界(さかい)が喪われれば火もまた消えるだろう。

*福井優子キャンドル展「Cold Fire」-23日(日)まで。am11時ーpm7時
 :23日(日)午後7時~酒井博史ギター・唄ライブ入場料1000円
*木村環×藤谷康晴「乱」-12月25日(火)-30日(日):30日午後5時~
 藤谷康晴ライブドローイング
*森万喜子展ー1月9日(水)-20日(日)
*高臣大介冬のガラス展「雪と花光とgla_gla」-1月22日(火)-2月3日(日)
*収蔵品展ー2月5日(火)-10日(日):吉増剛造・坂口登・一原有徳ほか展示

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-12-22 12:46 | Comments(0)


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