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テンポラリー通信

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2007年 12月 12日

ミジンコの世界ー視線と拠点(7)

ミジンコをTVで見た。微小な生物。真水の中で生息するという。透き通った体。
血管も心臓も卵も見える。生命装置がすべて備わっている。ミジンコはミジンコ
で充分に充足して生きている。木っ端微塵とかミジンというと極小の代名詞のよ
うだがミジンコ自身には関係ない話である。人間が自分を基準に大小を決めて
いるだけの話だ。ふっと鎖国時代の日本の事を思った。極東の小さな島国。そ
のなかで生きている。世界地図など知らないから国を小さいなどとは思っては
いない。みちのくもある。遠くエゾもある。奥の細道の旅は生死を賭けた遠い旅
である。南には琉球・沖縄もある。世界は多様で新奇な珍しいものに満ちていた
。情報誌のはしりのように木版の浮世絵が刷られる。後年欧州でその表現が驚
異の目をもって賛美されたとしても本人たちは一切関知しない事であっただろう。
ユーラシア大陸や南米大陸から見れば日本などは大陸のミジンコみたいなもの
だ。明治の開国以降その小ささを大きさ広さの物量の観念に政治経済の意識構
造を切り替えた時領土の拡大を目指す富国強兵の方針が生まれたのかもしれな
い。増幅を観念の中心軸に据えるは戦国時代もその当時も変わらない事実かも
知れないがミジンコのように命の個の充実を基軸とする豊かなひろがりと物量の
大小を基軸とする増幅の価値観はいつの時代にも存在して対立していると思える
。あえて言えば個を基軸とする文化の軸と量数を基軸とする政治経済の対峙と思
える。その両方が人間の生活の中で基本的には必要とされるであるのだろうけれ
ど同時にその相対する概念の相渉る切磋琢磨なくして人間らしさもない。ミジンコ
の命の世界が大小ではなく個の充実として意識される時その心に及ぶ拡がりは同
じ増幅であっても量数の増幅とは違う。一時流行ったクリオネでもそうだがその感
動は時として量的に拡大してあらぬ方向へと連れ去る。一種のペットのように可愛
いで拡大増幅する。そこだけが肥大して増幅すると厳しい氷の海の下という命の
環境の個別性は失われ結果の姿かたちだけが大写しになるのだ。ミジンコにして
も生息する真水の環境の問題を抜きには存在しない。観念の部分的肥大が政治
経済の産業構造の増幅作用と結びついた時命の増殖は停止し量数の増幅に取
って代る。そんな事はミジンも考えていませんと弱々しい個を気取る芸術家が言う
。芸術は大衆のなかへとさらに気取って言うかも知れない。量数の増幅を基準とし
たまま安易に大衆と増幅するなと言いたい。まあ狭くて見る人の数の少ないギヤラ
リーのひがみですか・・。

*福井優子キャンドル展「Cold Fire」-12月11日(火)-23日(日)月曜休廊
 am11時ーpm7時:16日(日)午後3時半~佐藤歌織ピアノ・オカリナコンサート
 入場料1000円:23日(日)午後7時~酒井博史ギター・唄ライブ入場料1000
 円
*木村環×藤谷康晴展「乱」-12月25日(火)-30日(日):25日-29日木村
 環作品展・公開制作:30日午後5時~木村環の作品に藤谷康晴が直接ドロー
 イングするライブです。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-12-12 14:31 | Comments(0)


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