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テンポラリー通信

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2007年 12月 08日

形(かたち)と容(かたち)-視線と拠点(4)

漢和辞典で見ると「容」は、谷とウ冠で家の中が広い、人や物を多く納れられるか
ら盛る意となり、いれた中身を盛り上げるから、かたち、すがたがさまざまとなり、
うごくことともなる。ーとあった。また「形」は右側の3本線は毛筆の意で筆で書き
あらわした「かたち」をいい、かきあらわすことをいうーとある。内からの視線と外
からの視線の差異が<かたち>を決定づけている。すると<形容>という言葉は
本来内と外の両方のの<かたち>の一致をあらわす言葉となる。内在する力が
決定する<容>と外在する力が決定する<形>の分離に我々が今直面している
現在があるように思えてならない。-中身が盛り上がって容(かたち)となる事を
ー外からかきあらわす形(かたち)ーに抽象する。この形容の一致への行為が表
現者の闘いともいえる。クリストの梱包アートの革新性もここにあるのだろう。ひる
がえってわが友ケンちゃんの凹みもまた都市の内在する力が決定した<かたち
>を外から描いていく形容の一致の闘いの在り方と深く関わっている仕事である。
外から装う事に終始する<形>への偏重は<容>を窒息させる。-中身を盛り上
げるから、かたち、すがたがさまざまとなり、うごくことともなる。-内側から溢れる
EX。外へ、前にと動くから表現なのだ。空間が<容>として存在せず外側からみ
た<形>として存在する時代に作家は当然その分離と闘わなければならない。ハ
コモノに入れれば何となく納得して収まっているダルな精神とは当然一線を画さな
ければならない。都市も住いも店舗も美術館もハコモノばかりが優先している。大
きく見れば日本の近代の主流は西洋というハコモノの形を追いかけてきた結果で
はないのか。しかしそのハコもまた成熟する。<容>というかたちが内側から盛り
上がるように実体を獲得しつつもあるのだ。そうした優れて勇気を与えてくれる作
家たちが分野を問わず存在する事も事実である。札幌という近現代のハコとして
作られた都市に生きて今こそ内なる<容>として、ハコから函へとトランス的転換
の行動を起すべき時であると私は思う。札幌・五月の共和国ーRepublic of Ma
y inSapporoーを熱く夢見る昨日今日なのだ。

*常設(収蔵品)展ー8日まで。:佐々木徹、村上善男、一原有徳、岡部昌生ほか
*福井優子キャンドル展「Cold Fire」-12月11日(火)-23日(日)
 :音と灯りのコラボレーシヨン・11日午後7時~あらひろこカンテレライブ入場料
  1500円 ・16日午後3時~佐藤歌織ピアノ・オカリナライブ入場料1000円・
   23日午後7時~酒井博史ギター・唄ライブ入場料1000円
*木村環×藤谷康晴展「乱」-12月25日(火)-30日(日):25日~29日木村
  環作品展・公開制作・30日午後5時~は藤谷康晴ライブドローイング・木村環
  の作品に直接藤谷康晴がドローイングするライブです。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-12-08 13:35 | Comments(0)


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