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テンポラリー通信

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2007年 11月 30日

闘わない奴等が笑うだろうー冬の輪舞曲(30)

今朝の路面は日陰と日向の白黒が明瞭だった。日陰は白く轍の跡も凍っている。
露出した黒い路面と凍てついた白い路面を交互に走った。競馬場脇の柳の大木
はまだ茶褐色の混じった緑の葉を茂らせている。川の証人。界川と琴似川の合
流地点近くである。1950年代の地図ではこの辺まで界川と記されていた。今は
暗渠の見えない川の上を自転車で走っている。この柳の大木は川の名残。川は
大地の血脈のようで大地の皮膚を意識させ風を筋肉のように導き出す。川の上を
風も走る。その風に乗って鳥も滑空していく。低い位置で気持ち良さそうに飛んで
いる。それが街の中でもそこは見えない川の上、風の気流が流れているのだ。空
気の中の川、それが風であるのだろう。風と川を意識して道を走る。円山北町から
春楡の残る北大近くに引っ越して1年半近くなり、このブログを立ち上げて2年にな
る。一昨年の11月からほぼ毎日、記してきた。札幌を漂流していた時もネットカフ
エで打ち込み10月の入院中以外は欠かさず日々を記してきた。写真は使わず一
度だけ村岸宏昭さんの遺影を使った。日々の記録その自分の眼、耳、肌で感じた
事は何よりも自分自身の励ましと確認のようにあったと思う。さっぽろを深々と生き
る、狭いとも広いとも人は言うかも知れない。だが私は狭いと思った事は一度もな
い。まだまだ未知の知らないさっぽろがあるからである。祖父母が眠り、父が眠り
母が眠るさっぽろはその時間軸の深度において、さらなる触れるさっぽろはまだま
だ遠く広く深いのである。歩き初め歩き深めるさっぽろを私はこの日記のような形
で触れ続けてきたように思う。ギヤラリーという開かれた一時の空間を窓口にして
人に触れ世界に触れその生と死にも出会ってきた。淵のように溜まり淵のように溢
れて世界が閉じる事はなかった。空間の面積をことさらにいう人もいるがその事を
切実に感じた事は一度もない。広くて立派な空間はまだ他にも多くあるかも知れな
いがそういう問題ではない。綴じる場は内容に比していつだって狭いのだ。綴じる
背表紙が内容を支え豊かに拡がる事を支えている。綴じる背がなければ中身もば
らばらに解けてしまう。それが場としての空間の役割である。どう、ぎゅっと背を創
るか。その集中に面積の大小は関係がない。今は、5月の共和国を夢見ている。
Republic of May-さっぽろでしかできない5月の解放、爆発を主題に見えない
川の氾濫を仕掛ける。再生という文化力を顕在化した個展がここを拠点にあちこち
で爆発する。見えない覆われたさっぽろが顔を顕し血管が表皮から浮き上がるよう
に。この僅か百有余年の近現代をその皮膚の下に盛り上がる大地の筋肉で浮き
彫りにし立体的な陰影を明らかにしさっぽろの皮膚呼吸を復活させたいと思うのだ


by kakiten | 2007-11-30 12:54 | Comments(0)


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