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テンポラリー通信

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2007年 11月 20日

谷口顕一郎展終るー冬の輪舞曲(21)

谷口顕一郎展が終了する。最終日夜ガラスの高臣大介さんが洞爺より来る。札
幌で一泊すると言う。谷口展だけに来たのだ。人の付き合いの深まりは会う事で
ある。ましてベルリンと洞爺ではそうそう会う事はない。人も作品も人と会う事で
深まるのだ。最終日に終了した展示は凹みの作品が1階会場に全面的に展示さ
れ当初1階にあったペインテイングの作品は2階吹き抜け壁に移動した。カッテイ
ングされていないプラステイック板とカッテイングされたものとが併せて展示され
作品の制作過程を表わす展示となった。路上や壁の痕跡を透明なフイルムに型
取りしそれをカッテイングしさらにそれをプラステイックかステンレスに転写して立
体的な作品に仕上げていく。さらに部分部分に蝶番をつけ折り畳み可能なものに
仕上げる。今回蝶番まではできなかったがそれ以外の製作過程をすべて展示し
た事となる。この一連の工程を見ていると洋服の仕立ての工程と近似している事
に気付いた。隣がテーラーさんである事もあるが工程がほぼ同じと思えるのだ。
期せずしてアートとファインアートの違いがそこにはあった。服の仕立ては注文主
に納品して完結するが谷口さんの作品は特定の誰かの注文でもなく納品の当て
もない。自分の美意識を<かたち>にするだけである。動機と目的が異なるのだ。
しかしそのプロセスは全く同じように展開する。型取りーカッテイングー仮仕上げー
仕上げ。原型となる人と凹みの違いはあるが元の場所に嵌め込む作業まで工程
は共通している。その後谷口さんの場合は蝶番をつけさらにかたちを折り畳む行
為を可能にしより個人性の要素が加わってくる。洋服の場合は着こなしのようにな
るのかもしれないが決定的に違うのは注文主の存在で出来上がったものが個に
閉じて完結する事とより他者に開かれ不特定である事である。完成までの動機と
結果が違うのである。最初から最後までひとりで為される作業の労は同じだが目
的と動機の違いがアート(技術)とファンアート(芸術)の違いである。洋服の評価
は注文主の満足度だが作品の評価は不特定多数なのでその評価は必ずしもすぐ
出る訳ではない。芸術家が孤独たる所以である。ゴッホのようにまた他の多くの作
家のように死後初めて評価が定まる事も多いからだ。生前の不遇、困窮が多く語
られるのはよく聞く話であるだろう。谷口さんの作品には芸術家の過程がその制作
過程にはある。洋服の仕立ては最終的に注文主の体型に納まって完結するが彼
の作品は元の凹みに納まって完結する事なく蝶番の装着によってさらに<かたち
>の変幻を幾つも可能にする事で素材(原型)からの独立を作品として果たそうす
る。普段見捨てられ無視されている何の変哲もない痕跡を<かたち>として採取し
自立させ<かたち>の美として精錬していく行為は純粋<かたち>至上主義者と
しての芸術行為といえるが今後何故その偶然の痕跡に惹かれていったのかという
内省的な動機の深化がより問われるように思う。都市は痕跡を消去して発展する。
痕跡を残さないのが現代の都市の在り様である。それを繁栄と見なしている。痕跡
が多いのは発展の反対に位置するからだ。歴史上の意味とか事件によってその痕
跡の意味に偏ればそれは純粋<かたち>至上主義とは異なってくるだろう。無名
の路上や壁に刻まれた痕跡の意味はそうした有名性と無縁の処にあるからだ。谷
口さんの今後はその無名性と同時にその<かたち>に惹かれる自らの内面の深
化においてこそ問われ続けるだろうと思われる。

*いずみなおこ展「森の記憶」-11月20日(火)-25日(日)am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-11-20 12:46 | Comments(0)


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