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テンポラリー通信

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2007年 11月 17日

石狩の鼻曲りー冬の輪舞曲(19)

海から川へと遡上する前、鮭は一時河口近くで待機するという。塩水から淡水へ
の体慣らしの為と聞く。体はボロボロになり鼻も曲がって最後の旅へと身構えて
いる。川の源流部の清流で産まれ育った鮭は再びその産まれた場所へと帰還し
ていく。個体としては死の旅、類としては新たな生命の為である。よく知られてい
る鮭の一生はこのふたつの水の入り口を経て成り立つ。淡水と海水。川と海。そ
こを結ぶ入り口が河口である。環境の相違する世界を繋ぐ口ーその位相に出口
という概念は存在しない。河口は新たな世界への門=界(さかい)なのだ。陸の高
さを海抜何メートルと表現する。海の深さはゼロとなる。山の高さもゼロとなる。そ
の基底となる豊かな零空間は物量の0とは違って異世界が交流する開かれた入
り口、触れる空間である。人体に例えれば皮膚、内界と外界の境、最も生命のタッ
チすろ敏感なゾーンなのだ。人の五感はその皮膚を外界に触れて開く。光に触れ
、音に触れ、匂いに触れ、味に触れ、物に触れる。個体の閉じた内面が外の世界
に触る新鮮な入り口の機能を保つゾーン。その交流する豊かな世界を一方的に
偏って陸の傲慢や内面の傲慢が支配する時そのゼロゾーンは出口としてしか機
能しないのだ。河口付近に夥しく累積している廃棄物、さらにはランドフイル(最終
ゴミ処理場)、犬猫処理場、これらは今もう日常的な風景となっている。山奥の川
の源流部分、その土と淡水の産まれる処、森が育んだ自然の水がめ、土と水の
触れる処。その入り口にも河口と同様の都市の廃棄物とランドフイルがある。都市
の排出物の出口に転落した豊かな触れる処は陸と都市の傲慢の為に<入り口>
の保つ美しい機能を喪失しつつある。再び人体に例えれば眼も耳も鼻も口も皮膚
も排出物で閉塞しつつあるという事になる。新鮮な交流は消え一方的な出口の機
能のみが支配している。人間を取り巻く環境としての自然は当然のようにその逆作
用として人間側にその出口を吐き出してくる。それは汚染という形で人間社会を撃
つのだ。空気、土壌、天候と自然の逆の過剰な出口たちがこちらに押しよせてくる
。鮭たちの海水から淡水へ遡行する為の大いなる労苦。鼻曲がりの必死な形相
は新たな外界で生き抜く為の真摯な表情、陸の傲慢に対して入り口の復権その
抗議の苦難の表情としても見えてくるのだ。一匹の鮭にも生きるという即自の開か
れた表現の哲学がある。

*谷口顕一郎展「ドローイングによる」-18日(日)まで。am11時ーpm7時
 :17日(土)午後7時~酒井博史ライブ「刻歌生唱」#10入場料1000円
*いずみなおこ展「森の記憶」-11月20日(火)-25日(日)

 札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-11-17 12:45 | Comments(0)


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