揺れてるね、若い美術家佐々木恒雄さんの第一声だ。日常の時間にいた私は一
瞬地震かと思った。阿部守さんの作品への感想だったのだ。茶褐色のうねるよう
な鉄の肌が重量を超えて揺れて存在している。スタテックな彫刻という概念がここ
にはない。勿論重さ百キロを超える鉄の素材が存在している事実に変化がある訳
ではない。柔らかく泥流のように存在し揺れている。じっと作品を見詰めながら話
を続ける。窓の外に手を伸ばしぐっと外のものをこっちに持ってくる、それが彫刻
ではないか。目だけで見ているのでなくこちら側に持ってくる、それが佐々木さん
の感じる彫刻である。このパソコンもTVもみな箱の窓の中で視覚的に存在する。
視覚だけでなく我々はいわば箱に囲まれている存在だ。車という箱、住まいという
箱、エレベーターという箱。その便利箱の中にいる事で身体機能の部分を増幅さ
せている。いわゆる文明力である。それに比して文化力は五感を増幅する。阿部
さんの彫刻作品はその最たるものである。石狩河口の泥流を鷲掴みにしてこっち
に持ってくるような事が可能なのは彫刻という文化力の成せる業なのだ。河口の
風景を見ていて飽きないのと同じようにこの作品は見飽きる事が無い。美術館の
K氏が来てすごく官能的だと語る。エロスを感じると言う。佐々木さんが揺れてる
ねと言ったというとああ、それかもと言う。固定しているはずなのに固定していない
。それはやはり作品の保つ力なのだ。愛着が湧くなあとK氏が言う。どこかに置い
ておきたいと私と同じ感想を洩らした。雪の中、緑の芝生、森の樹の梢の下。1年
間見てみたい。阿部さんが石狩を窓にしてこっち側に存在させた手の力業が彫刻
造形として今ここに在る。阿部さんのような生き方は’90年代の官に近寄ったパブ
リックアートに擦り寄らず個としての作家の軸足を揺るがさない代わりになかなか
一般的な多くの人の眼に触れずにいる。それは寂しい事である。しかし本物は何
時だってそんなものである。今に始まった事ではない。少ない人数でもいちどこの
作品を見た人はみな一様に言葉少なく愛着を口にする。素材としての鉄が元素と
しての土を感じさせ冷たくなく暖かく柔らかに凛として存在するからである。鉄をそ
のように感じる事の稀さと共感を見る人は同時に感じている。そこに大きな自然も
感じているのだ。五感が解放され豊かに増幅してくる。その心地よさは優れた作
品だけが保つものだ。五感の一部だけの増幅は短時間の利便性をもたらすが、
このゆったりとした時間をもたらす事はない。
*阿部守展ー23日(日)まで。午前11時ー午後7時
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which!?」-10月2日(火)-
12日(金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
*いずみなおこ展ー11月20日(火)-25日(日)
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