空間が成長しているーと阿部守さんが最初に展示を終えて発した言葉だった。作
品もまた・・と私は反応した。ちょうど1年前にここで初めて展示した時はこの空間
もまだ半年も経っていなかったし村岸宏昭さんの遭難死の傷跡がどこか色濃く漂
っていた。阿部守の原風景と鉄の原行為を象徴するような水と錆びの大きな円盤
状の作品は凸部で点滴する水を受けて蒸発を繰り返していた。初日の夜の集まり
でその蒸発するじゅっという音と煙を見て隣のテーラー岩澤さんの奥さんが”あっ、
村岸さんが今成仏したわ”と言った。村岸さんを知らない阿部さんにとっては何の
事かときっと訝しかっただろうと思う。23歳で死去した濃い人生の最後の個展、そ
の想いの痕跡も深いこの場所はまだすべてにこなれたものが未熟だった。時空も
また蓄積する。今回私は体調悪く2階で休み欠席したが隣家の岩澤御夫妻と酒井
博史さんの阿部さんを迎えての初日の宴では村岸さんの話は一切出なかったと
聞く。それは空間も成熟し作品もまた成熟して純粋に阿部作品が存在したからだ
。昨年、凸部に装着された電熱器が外れて床に焼け焦げを残したその痕さえしっ
くりと木の肌に馴染んでもうそう言われなければ誰も気付かない。そして現在そこ
に立つている作品の存在感はそれだけで余計な類推を拒む程圧倒的なのである。
鉄の原点を追求する。その行為を作品行為として考える時どうしてもそこには地球
という大地が顕われてくる。鉄の成分を育んだ土である。鍛冶屋のテクノロジーと
しての歴史は九州が深い。帰化した朝鮮半島の技術者たち。その伝説はヤマタノ
オロチや一つ目小僧の神話に見る事ができる。そのテクノロジーをさらに遡れば
鉄そのものの生成過程を育む自然・大地がある。その自然にいちばん近い風景
を保つ場所、それが北の大地なのだ。僅々百年余の近現代をめくればそこには自
然の天地がある。阿部さんはそこに触れたいのだと思う。人間が加工する以前の
鉄が還元される元のままの地球の土に。そんな原風景を多分石狩の渺々たる天
地に感じたのだろう。そこから鉄を叩き、手で撫でるように柔らかな作品が生まれた
。大木の木肌のように、濁流の泥濘のように、はたまた人体の肌に浮く肋骨のよう
にも見える呼吸する鉄の造形である。この百キロを超える大作を真っ直ぐにさっぽ
ろに運んでくる情熱はひたすらに北への風景の為からくるものであるだろう。それ
は国際都市サッポロでもなく開拓拠点札幌でもなくさっぽろの磁場へなのだ。場も
また成熟する。この疾風怒濤の出来事に満ちた1年間を私は私なりにそう総括す
る。あと三日。静かにこの鉄の塊を見詰め時に目で撫でながら人と場と作品の幸
福な出会いを思うのだ。
*阿部守展ー23日(日)まで。午前11時ー午後7時。
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which!?」-10月2日(火)-
12日(金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
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