人もまた胞子のように時代の荒地に精神の着床を求めて生きていくものだろうか。
阿部守の鉄の彫刻には石狩への着床を試みたその精神の軌跡をみる気がする。
有名無名年齢を問わずこのところそうした根の在り処を提示する作品が続いてい
る。網走出身の23歳のサッポロ。その日常の耕作から生まれた作品群。流氷を
冬の日常として見ていた漁師の子。内陸の平坦な石狩平野の都会。オホーツクと
イシカリ。港町と都会。ひとり出て来た若者の必死の生活が淡々と気負わず友人
との会話として録音され会場に常時流れていた。空気の土壌。これは作家自らが
耕した時間の土壌である。そこを在り処にして作品という木が立つ。前々回の佐々
木恒雄の個展の風景である。阿部さんに続く来週からの中嶋幸治さんの個展は
さらにその感を強くする。青森弘前郊外からサッポロに来て半年、ブラキストンラ
インの津軽海峡を越えた24歳の若者は風の色の違いに敏感になる。着いた冬の
終わりに近いサッポロの風は粒立つていた。津軽にはない感触なのだ。何故サッ
ポロを選んだのか。何故南へ向かわずさらに北だったのか。どこかでそう自問す
る自分がいる。「Dam of wind、for the return」個展のタイトルである。故郷
の山の白い土を運び込むと言う。故郷の再発見、再確認、そんな想いがサッポロ
で表現されようとしている。これも精神の着床の試みである。九州福岡から北へ
オホーツクからイシカリへ、津軽からサッポロへと3人3様の精神の着床の試みは
優れて自己探求の誠実な行為として作品化されてくるのだ。ベテラン、新人の区
別にあまり大きな意味は無い。自らの足下から耕して床苗を育てる同時代の行為
に熱い誠意を共感するのである。作家もまたカルチベーターである。作家以前に
人もまた着床する存在である。デラシネの難民の時代である。自らが故郷を創ら
なければならない時代なのだ。その精神の在り処をコンテンポラリーな行為として
幾つもの越境が試みられている。今回の阿部守の作品はあらためてその事実を
明確に物語っているように思われる。
*阿部守展ー23日(日)まで。午前11時ー午後7時。
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which!?」-10月2日(火)-
12日(金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
*いずみなおこ展-11月20日(火)-25日(日)
*福井優子展ー12月11日(火)-23日(日)
*木村環×藤谷康晴展ー12月25日(火)-30日(日)
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