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テンポラリー通信

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2007年 09月 06日

函と箱ー秋の序奏(5)

都市という大きな箱の中に暮らしている。その日常を祢津悠紀という映像作家が
淡々と自らの1日の記録として映像にしていた。掃除,洗濯,食事、入浴。方形の
マンシヨンの一室の日常である。窓から見える空、木、時に飛行機雲。それ以外
は直線の空間。そのなかでライフラインの線上の営みがある。熱、水、光。包丁
で切る豚肉、茄子。その動物と植物の残骸だけが曲線を保っている。水道から
でる水さえも流れる直線に見える。この都会の今何処にでもある日常の光景に
あらためて都市というハコを意識するのだ。用途という利便性の直線で構成され
た空間。そこに溢れる命の函は存在し得るのだろうか。祢津さんは石田さんを慕
うひとりである。弟子という言い方は適切ではないかも知れないがそういう立場の
人だ。2回目のテンポラリースペースの石田尚志展ではスタッフとして来廊してい
る。今回の映像は道立近代美術館で7月催されたイメージフォーラム映像展に出
品された作品である。石田さんがアニメの手法で奔放に映像化した世界と違って
祢津さんの作品は自らの日常を実写で映像化したものである。手法も対象も全然
異質なふたりだがハコの界(さかい)を見詰める意識は同質である。石田さんのハ
コへの意識はより過激で知的な抽象性の内にある。祢津さんのハコの意識はより
日常性の枠の内側にあり乾いた知性の内にある。祢津さんが石田さんに惹かれる
のは日常のハコを境にして石田さんの過激で奔放な溢れる抽象が自在にハコを
函として溢れさせているからだろうと思われる。祢津さんの日常のハコを見詰める
眼線にはその界を越境しようとする意思が潜んでいる。自身の生きている環境、場
そのものを見詰めそこからオーバーフエンスしていく。その耕作者の姿勢が彼の日
常を撮る視線にはあるのだ。石田尚志という天才の奔放さに対して祢津悠紀という
日常人の非凡さにも私は深い関心を抱く。対照的なふたりの映像は今週一杯見る
事ができる。ご希望あれば・・。

*石田尚志展ー9日(日)まで。am11時ーpm7時
 :「海の映画」常時上映。奥で希望により「フーガの技法」「部屋/形態」他上映。
*阿部守展ー11日(火)-23日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-09-06 15:13 | Comments(0)


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