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テンポラリー通信

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2007年 08月 14日

村岸シーツの閉幕ー村岸シーツ(14)

今年1月に始まり毎月1回の集まりを重ねて今月7日から12日までに集約された
濃い時間が過ぎていった。遺された楽譜を元に演奏された遺作コンサート。音楽
の友人たちによる追悼ライブ。そして遺された美術関連の資料や写真、文章、イ
ンスタレーシヨンの再現を試みた記録展。この3っのイヴェントを通して村岸宏昭
が志した事の軌跡が浮かび上がってくる。晩年の半年に一気に深まった精神の
熱い軋みを私は同時代の心としてずっと会期中感受していたと思う。3っの企画
がそれぞれに完璧だったとは思わないがひとりの人間を核にして多くの人が関り、
その分のブレはそれぞれ有ったにせよ人が人を思う心の深さは多様でありつつも
ひとつであったと思う。私は身内の不幸もあり終始裏方に徹していて昨日の1周
忌の法事にも出席できずライブ、コンサートにも顔を出せなかった。只この場所
での空間の立会い人の役だけはきっちりと誰よりも深く果たしたと思う。昨年のお
葬式の時からずっと表立った式典的なものに出席していない自分に今気付く。い
つもここで彼を受け止めていた。そしてそうした式典の後に何故か人がここに集ま
って来るのだった。表にしか顔を出さない人もいる。それはそれでその人の生き方
がそうさせるのだろう。私は死者もまた現場を保っていると感じている。その現場と
は魂の活きている第一線のことである。式典には現場の第一線がない。棚上げさ
れ、格上げされ、振り分けられた死者の位置しかない。式典を否定する気はない。
そこでしか癒されないものもある。それは身内の方の心情である。しかしもう一方
で式典が生む特権的位置に甘えも生ずるのだ。そこに附け込む俗もある。そして
商業主義が発生する。花輪、弔電の類の宣伝、売り込みも跋扈する。それら全部
含めて式典なのでそれはそれで現状と言う物だから目くじら立てる事ではない。
ただ今回の記録展を含めた3っのイヴェントは式典ではないのだからその意味で
式典的に参加し、ものを見ようとする人とは区別が生じているのだ。何処で縁あっ
たのか未知の人が実に熱心に記録集に目を通していた。そういう人が毎日何人も
いた。よく知られているようなさるグループ、団体の人は多忙ゆえもあるのだろうが
来ないか、式典直前に見ておくという感じである。式典にも出ず、ひっそりとしかし
熱心に見る、私にとっては未知の人たちを主体に会期中人の絶える事はなかった
のだ。


*及川恒平ライブ「だきあえぬうお」-8月18日(土)午後6時~
 予約2500円当日3000円
*Psalmライブー19日(日)午後6時~入場料1000円
*佐々木恒雄展「crickers」-21日(火)-26日(日)
*石田尚志展ー28日(火)-9月9日(日)
*阿部守展ー9月11日(火)-23日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind for the return」-9月25日(火)-30日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-08-14 12:53 | Comments(0)


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