何故か昼も夜も魂が千里を走って来るような気がする。お盆が近いんだなあ。
昨日も急な大雨のなかちらりほらりと人が来て会場造りをする。斎藤周さんは
仕事で来られない日だったが自発的に何かを誰かが手を動かしに来る。私は写
真の整理をしていた。色々発見がある。けっして上手な写真ではない。ただその
眼線に故人を感じるのだ。何を見ていたか、何を見ようとしていたか。例えば只の
工事現場の鉄骨が林立している写真のように見える。しかしそれは創成川のア
ンダーパス化の工事の写真であって川の上から撮っているのだ。水の見えない
川の上なのだ。雪解けの水が残雪の塊の横を音立てるように流れている写真も
ある。そんなに近寄っては危ないんじゃない、と感じさせるのだ。泳げなかったと
聞く彼が本当に水際すれすれまで近寄るのを見た事があった。発寒川を歩いた
小雨の降る昨年の春の事だった。茨戸の石狩川との合流地点まで手稲側から
歩いた。その後石狩花川のカフエに寄ったらそこの未央さんが中学生が3人川
から上がったばかりみたいな顔して来たよと言っていた。ふっと、もっと一緒に
歩きたかったなあと思う。昨日の道新の朝刊に結構大きく写真入りで記事が載る
。ただ残念な事に遺作コンサートのみが取り上げられていて追悼ライブや記録展
の記載がない。トータルで村岸宏昭の記録展なので残念である。音楽仲間の追
悼ライブは多くの人たちが参加して2日間に渡り1日はオールナイトで翌朝まで
演奏されるのだ。また此処の会場もみんなが手造りで彼のインスタレーシヨンを
再現しコーンを作る数も3000個近くになる。3ヵ所の情報をきちっと載せて欲し
かった。多くの人の好意が集まる。それは素晴らしい事だ。でもそれは何処かで
集中しなければいけない。トータルに見る俯瞰の視座が必要である。個々の善意
は時に脆いバラバラなものとなる。人間の体と同じなのだ。手と足がバラバラでは
身体性が損なわれる。身体だけではなく心もバラバラに訪れる。死者の魂が集ま
って来る。生者の魂も訪れる。東京から今城さんが来ると連絡がある。四国で故
人の死に立ち会った藤田純子さんも来ると連絡があった。電話が鳴る。遺作コン
サートのチケットの問い合わせだ。村岸シーツ。ムラギシナイトが始まっている。
心を集中して死者と友人を迎えようと思う。同時代への愛を基幹に据えながら。
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる」-8月7日(火)-12日(日)
am11時ーpm7時:1~6日会場設営で休廊。
:併催遺作コンサート10日(金)午後6時~於ザ・ルーテルホール(大通り西6)
:追悼ライブ6日(月)午後7時~於ライブハウス「LOG」(北14西3)7日(火)
午後7時~於カフエエスキス(北1西23)