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テンポラリー通信

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2007年 07月 27日

卵を割ろうとする格闘ー夏の旗(48)

道教育大の南聡さんが北海道新聞7月25日夕刊コラムに村岸宏昭さんの事を
「卵の中の格闘」と題して書いている。来月の1周忌を目途に村岸宏昭の記録展
を実現するべく今年1月から毎月月例会を開いてきたがそのリーダー的存在で
故人の音楽上の恩師として会議を主導してくれた方である。遺された楽譜を手が
かりに遺作として再生し公開録音の形で8月10日ザ・ルーテルホールで演奏さ
れCD化する予定なのだ。<その楽譜は作曲者の生前に一度も実際の音楽とし
て鳴ったことがない。今、遺作の初演という任がある。・・どこまで作曲者の創造
的意志を正確に掴むことができるのであろうか?>22歳で急死した<作曲を志
していた札幌の若い友人>の為に南さんが心魂傾けて音を再生しようとしている
。楽譜には死者という遠い他者との架橋がある。そして師の立場でありながらも
南さんは故人を<札幌の若い友人>と呼んでいる。師弟を超えて音楽を通して
繋がった深い信頼関係があるからだ。<彼の仕事は、ほとんどこの二,三年のう
ちの出来事であり、楽譜に関しては、まさに時を疾走していった姿がある。楽譜に
はまだ、彼が求めたい音と得た技術とが作る断層による、勝手いかぬもどかしさ
がみてとれる。>求めようとした音と技術の断層、それは今生と死の断層そのも
ののようにあり、残された人間と死者の断層でもある。その断層を超えて何故人
は何事かをしようとするのか。それは死者が生きて志した事への共感と友情に
拠るものだ。南さんが故人を敢えて<札幌の若い友人>とよぶ根拠はその音楽
への眼差しの共有にこそあるのだと思う。<それゆえのためらいを感じながら、
卵を割ろうと格闘する卵の中のヒナの様なそれらを、村岸宏昭の音として耳で確
かめたいと思った。>遺された楽譜、遺された文章、遺された美術の行為、それ
らを我々もまた眼で耳で生と死の殻を割ろうと格闘している。それは昨日書いた
イベントの役割担当などとは一線を画すものだ。故人が何をしようとしたかを問う
ことは畢竟自らの生の現場を問うことなのだ。そして南さんの<ためらいを感じ
ながら>という言葉の保つ死者への敬意の奥床しさを非常に美しいものとして感
受しつつも、私たちもまた死者とともに今眼と耳を通した再生を確かめようと格闘
しているのだ。卵を割ろうとする格闘はもう、ひとり村岸宏昭だけのものではない。

*石川亨信展「each pulse、each tempo」-29日(日)まで。
 :28日(土)午後6時~福井岳郎ライブwith栄田佳子
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる」-8月7日(火)-12日(日)
 :1~6日展示準備で休廊
 :併催遺作コンサートー10日(金)午後6時~於ザ・ルーテルホール(大通り西
  6):追悼ライブ6日(月)午後7時~於ライブハウス「LOG」(北14西3) 7日(
  火)午後7時~於カフエエスキス(北1西23)

by kakiten | 2007-07-27 12:29 | Comments(0)


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