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テンポラリー通信

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2007年 07月 19日

腐蝕画と光ー夏の旗(40)

日が長い。午後7時を過ぎてもまだ光が漂っている。午前の光とはまた違う柔ら
かさだ。西南向きのガラスの戸口から燦々と入光する午後の時間。白い壁に反
射して空間は燃えるような白い光で満たされる。そして光の力が衰え弱々しく薄
明の漂う空気となる。この時間が一番いいと作家は言う。銅版画の腐蝕された色
彩が深く輝くのだ。色を発すると言ってもいいのかも知れない。縦1m40cm横50
cmの銅がねが何も彫られていない状態で正面にやや斜めに床から立っている。
揺れて外界を映すだけだ。この銅板に図柄を描き硝酸で腐蝕させて作った版を刷
る。具象的な図柄はなく抽象的な線が沈んだ色彩とともにひろがっている。見る人
によってそれは様々な形に見える。昨日は骨に見えると言う人がいてどっきりだっ
た。何かこのところの私の心的時間経過のようで驚いたのだ。しかし揺れて外界
を映している銅がね色の銅板をみているとこれ自体がもう浮世・絵のように思える
。浮世=現実・絵=幻実。バーチヤルリアリテイーである。彫り込まれる前のまっ
さらな銅板。前に立つ凡てを映しだしながらも不定形に揺れていて虚の像である。
古民家という本来の住の日常性が天井を抜く事で非日常の空間に反転する。しか
しどこかで強い梁のように日常がこの空間の非日常の背後に張り付いているの
だ。吹き抜けの2階に上り座っているとそれが実感される。日本人の身体尺度で
構成された座敷の空間が床も消え押入れも喪失し襖の戸も無いのだが身体の寸
法は保たれてその残響感が存在しているからだ。目の前の現実が反転しその非
現実がまた反転して現実となる。これはあたかも生と死の構造、その反転に似て
いる。石川亨信さんの僧としての生活が日々そうした日常と分ち難くあるとしても
その事で作品を評価しようとは思わない。彼は彼固有の日常、生活の中から非日
常を抉り出そうとしているのだ。その普遍性への眼差しこそが評価に値するもので
ある。骨に見え、精子と卵子に見え様々な見え方の中でこの空間はある豊かさを
孕んでいくのだろう。それがexhibitionのexなのだ。外へ、前に、と作品は自立し
ていく。

*石川亨信展「each pulse each、tempo」-29日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる」-8月7日(火)-12日(日)
 1日~6日まで展示作業。:併催遺作コンサート10日(金)午後6時~於ザ・ルー
 テルホール(大通り西6):追悼ライブ6日(月)午後7時~於ライブハウス「LOG」
 (北14西3)。7日(火)午後7時~於カフエエスキス(北1西23)
*及川恒平ライブ「だきあえぬうお」-8月18日(土)午後6時~
 予約2500円当日 3000円
*Psalmライブー8月19日(日)午後6時~入場料1000円
*佐々木恒雄展「crickers」-8月21日(火)-26日(日)
*石田尚志展ー8月28日(火)-9月9日(日)
*阿部守展ー9月11日(火)-24日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind for the return」-9月25日(火)-30日(日)
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-07-19 12:53 | Comments(0)


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