昨年の2月から現在の場所に出会うまで川の地図を基にさっぽろを歩いた。出発
地点は中島公園の鴨々川の水門だった。幻の大河さっぽろ川の微かな痕跡。薄
野で直線の人工河川創成川の水源に切り換えられ消えたかに見えるその川は
再び東区の伏古にその痕跡を顕し丘珠、篠路に至って堂々たる大河の面影を現
わすのだ。扇状地さっぽろを形成した3っの川、発寒川、琴似川とともに1800年
代に流路変更をした豊平川という支流に表舞台を譲っても尚克つ茨戸では他の
ふたつの川とともに本来の姿を見せてくれる。古いさっぽろ川のアイヌ語フシコサ
ッポロペツ。さっぽろが省略されてフシコという言葉だけが残ったと言う。見えない
、消えたさっぽろ。その都心部の痕跡が鴨々川だった。家の祖父の代からの菩提
寺円照寺はその鴨々川沿いにあるお寺である。そこの住職さんの紹介で女房の
葬儀場が決まった。都心でかき消えたさっぽろ川が再び姿を顕す気配の漂う伏古
公園の傍であった。私が漂流したさっぽろ探見の基本ルートにもそれはあった。
その川の辺から手稲山口の焼き場まで石狩の海に向かって遺体消滅の道は続
いた。生れは室蘭、育ちは栗山だった女房は死んでさっぽろの王道の川を辿った。
見えないさっぽろ、消えたさっぽろの大河に沿うように。私は私の生き方において
真にさっぽろを深く生きたいと志していた。だからこの偶然が偶然ではなく必然の
ように思われ心に深く沁みるのだ。私は私が志した方に行けば行くほどふたりの
距離が離れていたと思っていた。興味の関心の在り方が離れていると思っていた。
実際にそうであったかも知れない。しかし今はひとりでいる孤独よりもふたりでいる
孤独の深さを思う。その意味で私は私を自責し自分の想念の身勝手さをどうしよう
もなく抱え込む。人は人の為に何ができるのか。目の前のたった一人に何ができる
のか。この究極の一点において私は死者の前に頭を垂れ許しを願うことしかできな
い。弔旗!伏篭川。ワンカップ一杯の酒。苦い海を飲み干す。