女房が死んだ。晩年は疎遠であった。10日の夜死んだ。死体と知らず傍にいた。
おかしいと気付き救急車を呼んだ。すでに死んでいた。推定時刻午後10時頃。私
がその場に来たのは午後11時過ぎ。それから1時間も話し掛けたりしていた。検
死で警察がきた。色々聞かれた。明け方までかかった。死因は虚心性心因疾患。
糖尿病が長かった。克明に記された食事のカロリー計算の日記があった。7日迄
で切れていた。8、9日は日付だけ。痩せていた。冷蔵庫の製氷室が空いたままだ
った。喉が乾き氷ばかりを食べたのだろうか。嵐のように親戚、兄弟東京にいる子
供と集まり葬儀が進んだ。東京に嫁いだ娘が遺品を整理して一通の手紙を見つ
けた。現金が入っていた。宛名は息子宛だった。リストラ後遠くで働いていた。葬
儀にも来れなかった。日記の裏には切り抜きがいくつも挟んであった。旅行の案
内のそれだった。貧しい食事、旅の夢、どれもがすぐ叶えられる金額のお金があ
った。でもそれには手をつけてはいなかった。母としての子への思いの方が勝っ
ていた。私は打ちのめされた。人が人を思う。他者を自己犠牲にしてでも思う事。
そんな女性の保つ母性という心の高さに打ちのめされた。男は惨めだった。何も
してやれなかった。特に晩年はバラバラだった。俺は俺の夢に生きていた。それ
を誇りに闘っている積りだった。でもたった一人に人間に対して何もしていなかっ
た。自分の事で精一杯だった。今一人の人間の死を前にして立ちすくむ自分が
いる。自分が自分らしくなってきたと思う今が、自らの来し方によって照射される。
過去によって今が研磨される。質が問われる。今はそれに耐えねばならない。
焼き場は石狩の海に近い新しく出来た場所だった。葬儀場は菩提寺の紹介で
東の青柳ホールという所だった。着いて驚いた。伏古公園の傍だった。葬儀の
バスを降りて風が違った。伏篭川の上に続く遊歩道の公園の傍なのだ。焼き場
へ向かう告別式の朝、葬儀のバスは見えない川に沿って進んだ。丘珠の手前で
川が顕われた。何も話した事がなかったけれどそっと死者の魂は伏篭川に寄り
添ってるように感じた。最後に死んで寄り添ってくれた。そう、想う。ありがとう。