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テンポラリー通信

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2007年 05月 22日

もう少しだった・・佐々木徹さん。-5月の共和国(8)

朝訃報が届く。佐々木徹さんが亡くなった。1949年生まれ。1990年9月にテン
ポラリースペース5番目として個展をして頂いた。今年5月にはそれ以来の個展を
予定していた。残念である。彼の人柄については多くの人がこれから語るだろう。
その事をもう私などが語っても仕方がない。ただ熱く云える事は5月ここで個展を
見たかった。1990年代以降グループ展の出品が多かったように思う。今年5月
の個展を誘った時もあなたの個展を見たいからというのが動機だった。彼の優しい
人柄は多人数の中で中和剤のようにはたらく事が多いと私は見ていた。その事自
体を否定する積りは無い。しかし作家はやはりひとりで闘って欲しい。個人の人柄
とは別にである。もうその時期だよ、徹さん。そんな事を言って個展を誘ったのだ。
今改めて1990年の彼の個展カタログを読み返してみる。<佐々木の作品は、決
して建築物のような根をはったものにはならず、展示空間の中を逃走していく・・・
ように見える。>(越前俊也)。<・・ゴムまりの中には一人の男がいて、ゴムまり
の全体像を知ろうと、皮膜の内側の形を手さぐりでなぞりながら這い回っている>
<少し空気の抜けた捉えどころのないかたちのゴムまりのぼくに、時代や、文化や
歴史や社会や、世間や、近所や、日常というさまざまは、力を加え続けゴムを震わ
せる。ぼくはそれを内側からきちんと確かめたいと思うのだ。個人的なものを、ぼく
じしんのためにつくることだ、と強く思う。>(佐々木徹)。美しい気配のようにすっと
佇み弧を描いて蝶の羽のように存在した。それが佐々木さんの’90年9月のインス
タレーシヨンだった。その後作品はより面として厚く濃くなってはきたがそれは多分
<内側を手さぐりでなぞり><這い回って>いた時間だろうと思う。<個人的なも
のを、ぼくじしんのためにつくること>その途上にあったと思う。晩年近くのカラー
コピーを多用した横尾忠則的世界は<日常というさまざま>を<ゴムまりのぼく
>の内側から確かめる過程の作品でそれに対峙する<個人的なもの>をまさに
これから<ぼくじしんのためにつくること>が始めなければならなかった時なので
ある。今や幻となった5月の個展は私にはそう存在している。何か昨日の自転車の
空気の抜けたタイヤはまるで今朝の佐々木さんの予兆でもあったかのように感じ
て、17年前の彼の文章を読み返している今の自分がいる。寂しい、これも5月だ。

*樫見菜々子展「微風」-5月29日(火)-6月3日(日)am11時ーpm7時
*有本ゆかり展ー6月5日(火)-10日(日)同上開廊時間
*予告6月12日~gla_gla2人展

by kakiten | 2007-05-22 14:56 | Comments(2)
Commented at 2007-05-22 17:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-05-22 18:52
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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