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テンポラリー通信

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2007年 05月 17日

遠い声近い声ー5月の共和国(3)

大木裕之さんから電話が届く。水戸のお礼。なにか珍しい。水戸芸術館の主任学
芸員森司さんが誉めていたとこれも珍しいという話。なにより大木さんが喜んでく
れたのがいい。でも今回の「マイクロポップー夏の扉」展の企画者でもある森司さ
んが私の来訪を評価してくれたのはなによりだった。大木さんもそれが言いたか
ったのだろう。あんまりあの人誉めたの聞いた事が無いんですよぉ~と言った。
沼田康弘さんから電話。今モエレ沼公園のガラスのピラミッド館にいる。ここは凄く
いい。ここで「もんしぇん」の上映をしたいと興奮気味の声だった。古石狩川の流域
で江別から千歳川ー夕張川へと繋がるルートで考えれば沼田さんの夕張そして旧
夕張鉄道の道に繋がり沼田さんの大好きなスイッチバックの錦沢にも繋がると話し
た。何かが彼の中で弾けていた。今年は一緒に少し遊びましょうと宣言するように
言って電話が切れた。初めてのモエレ沼公園、沼田さんは少しづつ夕張を越えつ
つある。東京でテント芝居風の旅団に呉一郎として参加し脚本、役者をしながらも
片時も故郷夕張を忘れる事はなかった。一度出た故里に往相から還相としてどう
戻るか、そのひとつが江別・野幌と夕張を繋いだ夕張鉄道のルートだった。その路
線沿いに一駅づつ芝居を打ちながら夕張へと入っていく。それがかって彼が想い
描いた夕張へと還る道筋だった。実現しなかったその道の想いが今また別の形で
復活しているのを感じるのだ。近代の向こうのイシカリ国ユウバリ郡として。
早川禎治さんがひょっこりと顔を出す。ここは初めてだ。しばし周りを見渡し中に入
る。奥のカフエスペースに入りう~んここはまた新たな発信地だなあと呟いた。それ
からしばし早川さんの「アイヌモシリ紀行」の話をする。そこまで読み込んでくれて
嬉しいという言葉を引き出した。そしてまた風のように去って行った。1938年生ま
れの快男児である。単独行の登山家としても異色の人であり、「知床記」という著作
の先見性、「カイラス巡礼」の探究心、「手稲山紀行ー傷ついた自然の側から」の
ラデイカルな現代文明批判と優れた著作の数々を著わした人でもある。前のスペ
ースではヒマラヤの花の写真展をして頂いた事がある。雨季に咲く珍しい花々の
写真が貴重な個展だった。蘭の花が凄かった。また「カイラス巡礼」の出版に併せ
てスライドレクチャーをして頂いた事もある。しかしなによりも私にとっては「手稲山
紀行ー傷ついた自然の側から」の本が最初の出会いで眼から鱗が落ちた本でこの
本は委託で80冊位捌いた。私のさっぽろ論の原点でもある。この一点の尊敬が今
もずーつと続いている。私の札幌ドームの野外美術群アートグローブ(芸術の木立
)批判のタイトルと文章の枕はこの著書から引用して書かれたものだ。今回出版さ
れた松浦武四郎の「東西蝦夷日誌」を基として歩いた紀行文はさらに全道に渡って
手稲山の惨状の構造をつぶさに見詰めた記録である。江戸の商人に始まり明治の
官、戦後の公の名の下大文字のPが如何にこの北の大地を破壊してきたかは殆ん
ど絶望的なものである。そして今もその現状は変わらぬ構造のまま進んでいるの
だ。その意味では北海道は現代の最先端にあって本州も含めた日本全国の現代
そのものに位置すると思われる。近現代が鋭く自然と対峙しているその最前線の
レポートが早川さんの著作には在ってそのコンテンポラリーな眼差しこそがさっぽ
ろを北海道を第一線の現代の現場にするのである。5月の共和国、それは私なり
の大文字のPに対する革命の謂いなのだ。

*樫見菜々子展「微風」-5月29日(火)-6月3日(日)am11時ーpm7時
*有本ゆかり展ー6月5日(火)-10日(日)am11時ーpm7時

by kakiten | 2007-05-17 12:40 | Comments(0)


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