福井優子さんがほぼ展示を完成する。あとはもう灯を灯してみるだけとなる。誰か
来たらそうしょうという事になる。ふっと思いついて酒井博史さんに電話する。ギタ
ー片手に来て下さいと頼む。一度福井さんも酒井さんの唄を聞きたいと言ってい
たのを思い出したのだ。用事を終えたら向かうと返事がある。それではとお迎えに
灯を点灯する。予定の展覧会が作家の都合で中止になり空いた為とはいえ流れ
としては自然な形で3日間だけの灯かりの個展が実現した。キヤンドルのワーク
ショップと出来上がった様々なキヤンドルの展示即売を主とした展覧会で肝心の
灯かりを点ける機会がなかった。その事が最終日の佐藤歌織さんのピアノソロラ
イブで灯を灯し気付いたのだ。そうだ灯りが無かった。灯りを見たかった。灯りを点
ける灯りの展覧会はその気持ちの流れで実現した。夕刻の2時間だけの3日間。
これも想いは現実、現実は想いの賜物なのかも知れない。灯が灯されると空気が
感じられる。ゆらゆらと空気が視覚化する。そのひとつひとつの炎が連動して会
場全体をある有機的なモノとして空間化する。微かな外からの震動、隙間風。立
ち動く人の気配。流れる音楽のピアノの音の律動。空中を伝わる音波の響が炎に
伝播して灯りが揺れる。見えないはずのものが繋がって関り合い存在している。
その存在様態が灯りの揺らめきで見る事ができると空間は一体となって灯りの
造形が出現するのだ。多分私たちは気付かず日常こうした世界を生きている。時
に海や山の只中で自然のエーテルに囲まれた時灯りのようにその事に気付いた
りするのだ。森林浴とか滝の傍のマイナスイオンとか別の言葉で理解している。
普段その有機的なものから遮断された都市生活者には大いなる自然に囲繞され
た時にしかその感覚は蘇生しないのだ。電気の光では感受されないものが灯りに
はある。燃えるという触れる行為が空気中を伝播して空間を本来の有機的存在に
還元してくれているのだ。そんな事を思っていると遅れて酒井さんが来た。禁煙
がとけてのびのびとした表情をしている。両切りのピースなど吹かしている。ある人
と禁煙を誓い先に降参した方が罰を受けるというゲームに彼は勝ったのだ。だから
今は公然とタバコを吹かしている。禁煙解除後初の歌声をどうぞと誘いをかける。
気持ちよさそうに会場をみていたがほどなく唄いだした。4曲ほどよどみなく声が
響いた。声に伸びがあった。禁煙の効果かもしれない。聞き終えた福井さんが声
をあげる。”鳥肌が立ったわ”。またひとり酒井フアンが増えた。ここにもひとつ心
の灯りが灯った。声の灯りが空中を伝播し心の灯りに触れた。
*福井優子「春を灯す」特別篇ー4月12日(木)-14日(土)午後5時ー7時
2時間3日間だけのキヤンドルアート展
*木村環展「LIFE GOES ON」-4月17日(火)-5月6日(日)月曜休廊
am11時ーpm7時於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-
8北大斜め通りtel/fax011-737-5503
*緊急告知ー酒井博史ライブ4月14日(土)午後7時~声の灯を灯す
入場料1000円上記灯りの会場で声の灯りのライブを緊急公演致します。
ご光来お待ち致します。