SPIさんこと今城恵子さんのミクシィーの3月の札幌訪問記を読みながら急に
美味い珈琲が飲みたくなった。今城さんがさっぽろを仕事で訪れ、夜空いた時
間にふと前のテンポラリースペースを訪ねる話。そこはもう駐車場になって何も
無い。しかし母屋の旧花器店の建物は美容室になって残っている。正面の白樺
の樹は枝を切られ銅版の壁面には紫の電飾が点いている。内を覗くと内部の構
造は変わっていない。髪を切りに入ろうかとも思うけれど最近切ったばかりなの
で諦めて裏の円山茶寮という喫茶店に入る。そこで札幌の喫茶店の情報誌を読
みながらかって訪ねた店を思い出す。翌朝狸小路近くの宿屋からその目当ての
喫茶店に行く。そこのレトロな雰囲気に寛いででも珈琲の味は以前の方が美味し
かったと思う。そして前夜遅くて連絡のとれなかったテンポラリースペースに電話
を入れ訪ねる事にする。そこでは斎藤周展が最終日で春のような満開の人と光景
に出会うのだ。彼女の前夜から翌朝へかけての行動が珈琲を片手にくるくると身
体ごと飛び跳ね過去現在そしてちょっと先の未来まで触れて彼女の呼吸とともに
こちらまで時空を移動しているかのような新鮮な文章だった。前の藤谷康晴展の
時もテンポラリースペースを訪れていたのでそのふたつの展覧会の違いもまるで
彼女の目を通して冬と春のように映っている。日常の連続する時間を飛び超えて
ふっと天使のように紛れ込み空間をタイムスリップする。その時間の旅人の新鮮
な眼が捉えたシーンの描写は読む者をして自由な時空の新鮮な旅人のように現
在を解き放してくれるのだ。一杯の珈琲を片手に1年間の時空。夜と朝の時空。
場の時空。作品の保つ表現の時空。そして会場で偶然出会った今春東京の大学
に旅立つ斎藤周さんの教え子と話し今城さんがプロデユースし札幌・石狩を舞台
にした大木裕之の映像作品「オカクレ」のヴィデオを売り込むというおちまでついた
。前夜から翌日お昼までの半日の行動がこんなにも振幅を保って語れるのは素
晴らしい事だと思う。この今城さん自身の行動こそが現代の「マイクロポップ」だ
という気持ちがする。一杯の珈琲を片手にマイクロポップ今城さんに乾杯!だ。
*マイクロポップー歴史が相対化され、様々な価値のよりどころである精神的言説
が権威を失っていく時代に自らの経験のなかで拾い上げた知
識の断片を組み合わせながら、新たな美意識や行動の規範を
つくりだしていく「小さな前衛」的姿勢をいう。(ジル・ドゥルーズ)
*「夏への扉ーマイクロポップの時代」ー2007年2月3日ー5月6日水戸芸術館
現代美術ギヤラリーで開催中。映像作家大木裕之も出品中。
美術評論家松井みどりさんのキューレートによる展覧会。