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テンポラリー通信

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2007年 03月 11日

エルムの都ー春のにおい(23)

今日も歩く。昨日とほぼ同じ道。大荒れの天気予報が逸れ青空が広がる。桑園
市立病院南端から国際交流センターを抜け北大苗園の中に入る。そして石山通
を跨ぐ陸橋を渡る。この陸橋がいい。両脇のフェンスが以前より高くなっている。
もっと前は低く下を走る車が近くちよっと恐かった。橋の両脇に立つ樹が大きい。
ドロの樹。農場と実験農園が続いていている。かって最先端の農のテーマパー
クだった農学校の時代を彷彿とさせる。広い敷地はそのかっての農学校時代の
賜物なのだ。旧国鉄駅に近接してこの旧帝国大学があるのは農業の最新の技
術を現在のテーマパークのように位置付けていたからと思われる。道庁正面の
東側が帝国製麻や札幌ビール札幌ワインの工場として設置されかたや道庁の
北側には現在のシリコンバレーのようにチーズや牛乳、玉蜀黍や小麦等の西洋
の農業技術を取り入れた大規模な実験場として設置されたのだろう。クラークを
初めとする外国人の学者が指導する西洋型農業の最先端のテーマパークが
北大の広い敷地の所以なのだ。産学協同の原点がここにはある。その広さゆえ
本来の自然が根こそぎ消えることなく自生するハルニレの名を取りエルムの学
園と呼ばれたのだろう。北大第二農場は今モデル農場として保全されているが
その中に時を告げたエルムの鐘が保存されている。そしてかって札幌もエルム
の都と呼ばれたほどハルニレの樹が多い街だったのだ。アイヌ語のチキサニ
ー火を擦る樹。月寒はそのチキサニを語源とすると言う。北大構内を歩く事で
札幌の最初の街造りの基本が見えてくる。計画的に産学協同を意図して造られ
た政治と経済と産業とが分かち難く結びついた国家的な殖産興業の街である事
だ。現在の筑波大学の何十倍もの規模と国家的要請に基づいて計画されている
と思う。大通りから南で育った私はその商業ゾーンすら道庁を中心とする官の御
用商人の街が基本にある事をその出発点において認識不足だったと思う。老舗
の靴屋さんが最近店を閉じたがここも前身は道庁の御用商店である。旧帝国大
学という学問の官と道庁という政治の官とが一体になって札幌の街の基本構造を
造っている。ただエルムと横文字で呼ばれたハルニレや北大寮歌に歌われた自
然の姿に本来のさっぽろが近現代の札幌と対比するように存するのだ。このふた
つのさっぽろの咀嚼なくして現在はない。

by kakiten | 2007-03-11 13:27 | Comments(0)


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