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テンポラリー通信

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2007年 03月 09日

二度死ぬー春のにおい(21)

MJQの初期の傑作「朝日の如くさわやかに」「ジャンゴ」を聞きながらふっと思っ
た。二度死んできたなあと。藤谷康晴の南1条通り3,2丁目の漂白された街並
みに1ヶ月近く囲まれてきたせいもある。私の生まれた南2条西4丁目11番地。
通称駅前通り、祖父、父の時代は遠く停車場通り。今は四番街。そう云えば三
越の前の交差点を四丁目十字街という云い方もあった。今はそこから三越斜め
向かいのテナントショッピングビルを4プラなどと言っている。維新堂という本屋
布川さんと言う。一誠堂という古本屋。名前は忘れた。西林(ニシリン)という喫
茶店。広川さんと言う。いちの薬局横山さんと言う。それらの店が合体してビル
となった。店はショップになって東京を中心にした他の有名店とともにパックさ
れたのだ。お店のパック。そして顔が消えた。地下二階地上九階。そんなビル
群が市街地再開発法という法律の名の下続々と建ち並んだ。私の生まれた場
所は市街地再開発第三地区。同じように店はパックされた顔の無い横文字の
ビル名となる。札幌市が建築主体となりビル建設後は旧地権者に分割で払い
下げという方式で巨額な借金を背負いテナント集めに奔走した。言葉ではオー
ナーとか言うが要するに自前の店は人様の褌に切り替えその揚りを当てにす
る体質の街に変質したのだ。その頃から住いを追われたデラシネ商店主は今
高級住宅街といわれている西の山のほうへと住居の拠点を移動していく。琴似
町字宮の森がいつのまにか中央区宮の森になりその他南西部の藻岩周辺も
高級住宅街に変貌する。車の普及抜きにはただの山ん中。四駆以外は無理が
当時当り前だった。それでも街中と違って空気が良く自然が豊かだった。キジ
もリスも不思議な按摩さんの笛のような声で鳴く鳥もいた。カッコウも最近はそ
の鳴き声を聞かないが当り前のように初夏近くウグイスと声の競演していた。
今皮肉な事にカッコウの声は信号音で街の交差点に立つと聞こえるのだ。店
のパック化によって住を喪った街は郊外に今度は住のパック化となってマンシ
ヨンビルの時を迎える。ここでも顔が消えていく。横文字の並ぶ意味不明のビ
ル群。公共事業に端を発し政治と経済の税収と店子経済の増収を目的とした
街の構造が出来上がるのだ。私はその渦中で二度闘い敗れた。だから二度
死んだのだ。心血注いだ円山北町。祖父と父の四丁目。被告であり原告となっ
て札幌市あるいは地権者との訴訟を闘って来た。そして今も闘っていると思う。
否、生きていると思う。闘いは勝ち負けを一元化する。そういう闘いはもうしない。
商なし、農なしの札幌の次元で闘いたくはない。商業の場はテナントビルに、農
業の場はマンションビルに、そういう商なし、農なしの次元で顔の見えない経済の
闘いは不毛なのだ。さっぽろの美しい自然とかっての街はもう遠い彼方に喪われ
つつあるのだろうがそのさっぽろを見据える闘いはまだ始まったばかりだ。さっぽ
ろに生きながらさっぽろを見据えない人たちの東京もパリもニユーヨークもイタリ
アも信ずる事はできない。それは政治や経済だけではない。文化も同断である。
さっぽろを咀嚼しないでなにがロンドン、パリ、ヴェネツイアなのだ。文化もまたテ
ナント文化となっては終わりである。その闘いが残っている。三度目の正直である
。石見の国岩見人森林太郎として死す。かって森鴎外はその墓碑銘にそう記すよ
うに遺言したという。その気概をこの僅々百余年の札幌で想う。なにをもってそう
言えるのかと。真に拠るべきさっぽろとは何かと。

*斎藤周展「3月の次から」-3月13日(火)-25日(日)AM11時-PM7時
 月曜休廊於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8
 北大斜め通りtel/fax011-737-5503
*藤谷康晴展「肉体vsCONCRETE FICTION」は今日で終了。
 ご覧頂き有り難う御座いました。

by kakiten | 2007-03-09 12:36 | Comments(0)


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