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テンポラリー通信

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2007年 02月 27日

優しく激しい亀裂ー春のにおい(12)

どこかでもう春の気配を感じている。しかし目に見えるものはまだ冬。皮膚も冷た
い。昨日の陽射しは春のそれだったが今日は曇天。寒い。この繰り返しにこの季
節の果て、冬の疲れが残る。体は正直だ。気管支と肺のあたり、腰にそれがくる。
私は多分自分の来し方、自分の体験を藤谷さんの描く一番街の風景に重ね合わ
せて見てきた。仲通は消えビルの谷間、商品の搬入口になり屋根が消えた街。か
って人は原風景を「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」と唄った。私にはそんな
野山はなく街の仲通りの風景が小さな頃の原風景である。ある世代からその原風
景は明るい深夜の煌々と蛍光灯の輝くコンビニエンスストアーのように思える。20
代前半の人の写真でそんな夜の水銀灯と蛍光灯に輝く建物だけを白黒で撮影し
た街路風景だけで構成されているのを見た。人の気配は無い。白い光だけが夜
の闇に輝いている。かっての駄菓子屋のようにおじさんやおばさんという人と物が
一体化した店ではなく商品だけがきらきら並んで電球ではなく翳の無い蛍光灯の
世界なのだ。店はコンビニというショップになりその感覚で、その色彩で、繁華な
白昼のショッピングビル群を切り取れば藤谷康晴の描く世界となる。路面から身
体大の大きさに街は眼で切り取られる。そして深夜のあのモノクロームな蛍光灯
と水銀灯の色彩に。人の気配は無く。彼は色彩と物と群集に溢れた昼の街を夜
のコンビニ風景と等置に透視している。何故ならそれが彼の原風景だからだ。昼
の原色のスピード、騒音、人の群れ、強引な高さ、等身大を引き裂くもの、それら
を排除して自分の身の丈大に街を奪還しようとする。もしその行為を現実行為とし
て孤独に実践したなら限りなく彼は宮崎勤の犯罪に近いところにいる。酒鬼薔薇
少年の<透明な存在>の位相なのだ。このコンビニ世代の凶気が作品表現とし
て廃墟に生い茂る蔦や花のように渦巻き都市構造に亀裂を生み出すのはある意
味で画期的なことだ。そこには命の直接性が復活しているからだ。白昼の街が廃
墟の街へと転換する。そして生命がその亀裂に生まれる。テロと革命がコンビニ
の暗室から反転する。眼のテロが眼の命に革まる。世代を超えて私が藤谷康晴
の作品に同時代性を感じるのはその謂だ。私の仲通り、私の路地裏が雑草と共
に街路の優しい亀裂として原風景のように幻視されるから。その優しい亀裂を肉
体として意識化した時対峙した街もまた別の身体性を保つ。切れ切れに裁断され
た街からある総体性を保つ街へと。そのルネッサンスへの希求こそが文化の保
つ力だと今思う。

*藤谷康晴展「肉体vsCONCRETE FICTION」-3月9日(金)まで。
 AM11時ーPM7時於テンポラリースペース

by kakiten | 2007-02-27 14:28 | Comments(0)


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