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テンポラリー通信

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2007年 02月 10日

赤い花が残りそして消えたー函となって溢れる(56)

藤谷康晴さんが来て展示にかかる。精密に画かれた路上のマンホール、排水口
が先ず正面に設置される。4つに分割された画面の一部を捲るように浮かせ画面
が立体的に構成される。スーパーリアリズムの世界が一瞬にしてシュールな世界
へと変貌する。今日の作業はここまでで明日から本格的な展示作業に入る。都心
の一番街南北の建物がぐるりと頭上を囲みその下には路上のアスファルト路面が
拡がって最終日の落書きライブの舞台となる。車に奪われ道路交通法に管理され
た路をある意味で奪取するアートゲリラのような行為なのかもしれない。その為の
風景はあくまでもリアルで精密な背景でなければならない。邪魔になる群集、看
板は漂白され構造体としての建築物だけが再現されている。それも自分の身の
丈以上の高さは省かれ<私>が充分に動ける等身大以外のものは凡て排除さ
れた不思議都市の光景が構築されてあるのだ。早朝の誰もいない繁華街。そこ
で作者は自由に街を闊歩しあたかも街を自分だけのものように遊ぶ。俺の場所
俺の街俺の遊び場。まるでそう主張し宣言するように。量数を基本とする街の論
理に個の自由の論理が対峙していく。早朝の誰もいない街の空白の時間と白昼
の物と人で埋まる時間との狭間から作家の視線は何を掴みどう表現していくか
明日以降が楽しみである。物と人が無くなり真っ白な壁の空間に二週間健気に
咲きつづけた赤いチユーリップの花が束になって置かれている。そしてその花も
撤去され消える。そんな写真を高臣大介さんが自分のブログに載せている。タイ
トルは「そして何もなくなった」先週まで展示していた展覧会の最終日搬出時の
写真である。藤谷さんの街とは別の意味でこれも何もない無人の光景であるが、
その空間は満たされた後の余韻と消去の違いがここにはあって大介さんの無人
はある愛着に満たされた想いが底にあり、藤谷さんの無人はある怒りのようなも
のが横たわっている。ふたつの無人の空間の違いは人と物の質の違いに起因す
るものだろう。量数を豊かとする価値観と人と物が内側から溢れている豊かさの
価値観の違いとでも言えるだろうか。夜故村岸宏昭さんの一周忌に向けての追
悼コンサートと展示の為の月例会があった。音楽の恩師M先生がてきぱきと段
取りを報告しみんなに議る。かっての音楽仲間も加わり残された楽譜を主体に
したコンサートと仲間たちのライブと二本立てで企画が立てられていく。このコン
サートは公開で録音されCD化して遺作集に纏められる予定である。ここにも本
人という存在は無人であるがある思いで時間と空間が満たされている。故人を想
うという心の時間である。その一点で人が集まり何かを形づくっていく。藤谷さん
が都市の無人を再構成し何かで埋めていこうとし、大介さんは展示という行為の
後の無人を充足の想いで埋めている。そして今はもういない人間への想いを形
にする。これも無人の時間。魂が満ち疾走っている。時に人間はいいなあ。そう
思った。

*藤谷康晴展「CONCRETE FICTION」
 2月13日(火)ー23日(金)am11時ーpm7時(月曜休廊)
 最終日23日(金)ライブドローイング「肉体vsCONDRETE FICTION」
 am11時ーpm7時於テンポラリースペース
 札幌市北区北16条西5丁目1‐8北大斜め通り
 tel/fax011-737‐5503
 Email・temporary@marble・ocn・ne・jp
*2月16日(金)PM7時ー碇昭一郎jazzライブ「追悼石田善彦」
*2月17日(土)PM7時ー酒井博史ライブ「刻歌生唱」共に1000円

by kakiten | 2007-02-10 12:52 | Comments(0)


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