野上さんが作品の搬出に来て南側の壁を取り外し空間は再び光が満ちてくる。村
岸さんの知り合いのHさんが友人のYさんを連れて来た。Yさんは網走で仕事をし
ているがお正月で札幌の実家に帰省中だった。知らなかった村岸さんの事が見え
てきた。さらに絵を書くAさんも来て最終の野上展をゆっくりと見ている。初日以来
なので完成した三点の作品を見るのは今日が初めてだ。やがてAさんも交えて話
は深まる。本当の最終日。一昨日の我々の大晦日を過ぎて正月2日という事。野
上さんがぼ~っとした仕事をやり終えた人間の顔をしている。初日とは顔が違うわ
とAさんが言う。ここを初めて訪れ色んな事を聞き場を見てYさんが寛ぎ話を聞い
ている。人を受け入れ人を包む包容力のある人だと思う。人は生きることの試行
錯誤のなかでいろんな人にも会う。その大事な一ページを彩る人に今会っている。
そんな気がした。連れて来てくれたHさんが満足そうにちょこんと座っている。”紹
介したかったのよ”そう言って笑う。野上展本当の最終日。ゆっくりといい語らいの
時が過ぎていく。追悼を主にした展覧会では無論なかった。しかしそれはどこか
心の奥にトラウマのように潜んでいた事も事実だった。それぞれの動機において
それは否定はできなかった。尾道で最後に会った野上さん。岡和田さん。さっぽ
ろで見送った酒井さんそして私。今回の野上展は作家本人の進境著しい作品世
界もあったが同時に個人としては避けて通れない故人への想いもあったのだ。最
後の個展会場という事もある。それが多くの人たちの心とつながり自然な形で作
品の自立と追悼が共存して場が作られていった。また人を想い人の為に祈ると
いう真の部分が作品に奥行きを与えていた。そう思う。三点の作品の囲饒地にそ
の安らぎの空間が醸成されていた。野上さんが昨年造った左右二対の手首の
彫刻の底に酒井さんが「往」と「還」の二文字を彫った。そのひとつを手に持ちな
がらAさんがこの掌の中に入るような何かを造って欲しいと野上さんに頼んでい
た。掌の中。それこそが三点の作品が包含した空間のエキスとなるだろう。自ら
が創りあげた自らの居場所。再生された自己の親和力に満ちたあるもの。それ
がどのような形となるかは分からないが今回の個展のエキスのリクエストがその
依頼にはあると思う。三点の作品が両手を合わせるように指し示した一点に祈り
と安らぎの素朴なジャコメッテイがいた。その垂直な祈り立つ空間に作家も見る
人も何を結晶化し何を形象化とするかはそれぞれの次なる生のステージに関る
事なのだ。藤谷康晴展と村岸宏昭展がふたりの<ハイタッチ、バトンタッチ>で
繋がったように野上裕之展は掌(てのひら)の注文のハイタッチで終ったのだ。