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テンポラリー通信

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2007年 01月 15日

第一線という事ー函となって溢れる(33)

我々の大晦日が明けた。帯広から前回の展示者岡和田直人さんが駆けつけ、K
さんが作品撮影をした。そして村岸さんの集まりで差し入れのあった鍋の材料を
みんなでたいらげた。最終日は多くの人が午後から次々と訪れた。即自分のブロ
グに書いてくれた人もいた。<終わりとともに始る>。そういうタイトルだった。他
にも多くの方がメールやご自分のブログに何度も書いて頂いた。もう人の作品で
はなく自分の生の現場、その第一線での共感だったと思う。その人達のほとんど
が作家にとって今回初めて出会った人たちだった。その事がさっぽろを離れ今は
尾道に住所を移転した野上さんにとっては大きな驚きと喜びと同時にある失望を
味わっていたようにも見えるのだ。札幌にいた時の仲間友人たちとのある落差。
当然来てくれる筈の人が来ない。来ても通り一遍の来場。そこにクロスする作品
を通した出会いの火花が散らない。離れたさっぽろがいつの間にか遠くになって
いる。その口惜しさ辛さのようなものが私には傍にいて感じられたのだった。勿論
ここでの新たな出会いを喜び驚きながらそれでもやはりかっての友人仲間とのズ
レは淋しい事だったに違いない。第一線の現場が違ってきているのだ。それは仕
方のない事である。老若、性別、生死すらも関係なく作品とその世界は存在し続け
る。初めて彼の作品を見この空間とともに呼吸した時間はもう固有の第一線であ
る。そしてそれはそれぞれの生きる現場の第一線とクロスオーバーし存在する。
作品が自立した証左なのだ。群れた仲間が変わったのではない。作家が個として
抜け出たのだ。作品がその事を証明して存在しただけである。我々はそうした孤
独を噛み締めまた新たな世界に立ち向かう。それぞれの生の現場の第一線で
闘い友情と出会い、別れともまた出会う。親子、友人、恋人、仲間たちと様々な
関係性の中で、でだ。僅か一年弱の月日の内に起こった事がその関係性の構図
を根本から大きく変えようとしている。札幌を出た事、友人が死んだ事、尾道で作
家活動をしながら生の現場で闘っている事。そんな個々の一見バラバラな行為や
出来事が、総体として漠とした札幌的な育った環境の曖昧な慣れを抜け出て、今
自分を発見している。渾身の作品の創った世界が今そう語っている。もう第一線が
違うのだ。それは同郷や同窓や同世代という<同>から遠く、ある意味孤独なもっ
と開かれた<同時代>の山稜に今立っている事である。そこでは無名の未知の
声が木霊のように作品の声に応えて戻ってくるだろう。そういう時間だったね、野
上さん。あなたの個展の時間は。

by kakiten | 2007-01-15 16:47 | Comments(0)


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