低気圧で強風。濡れ雪。今夜ドイツのキューレーターSさんが来るので午後から
出勤する。ギヤラリー前の雪を跳ねる。水気を含んで重い。風も強い。体も重い
。肩が張っている。疲れもある。中村達哉さんからメールが届いていた。”ブログ
時々見ております。僕の踊りを螺旋的と言ってくれたことが嬉しかった・・。”と書
いてあった。昨年暮れの吉増剛造さんの時の彼の舞踏の印象を私が書いた文
の事だ。再びさっぽろを訪れる日の期待と決意が末尾に記されていた。吉増さん
の工藤正廣対談の後、二次会で彼と話した事を思い出す。風景の玄米。精白さ
れた都市の奥に潜む殻と皮と実のある原風景への想いを語ったのだ。そういうイ
シカリのサッポロでいつかまた会える日まで場を構築していかなければならない
と思う。ドイツのハンブルグで現代美術のギヤラリーを運営しているSさんは帯広
の出身と聞いた。遠く異郷の地で日本を見詰め日本のなかの北を見詰め十勝の
国を見詰めているSさんは今日どんな話をしてくれるのだろうか。遠く離れる事で
分かる事もある。そんなインターローカルな視点をSさんとの初めての出会いで確
かめれそうな気がする。私のブログをドイツでSさんが読んでくれた事が今度の出
会いのきっかけになっているのだから。以前届いたSさんのメールの熱い冬の記
憶を語った文章は真っ直ぐなSさんの原風景ー風景の玄米を感受させてくれた。
遠い異郷にいるからこそある時経験の奥に潜む原風景の殻、皮、実を深く咀嚼す
る事もある。距離だけの問題ではなくさっぽろにいてもそのようにさっぽろを咀嚼す
る事もある。そして人と人が経験のコアで出会う時がある。そうした生きている時間
の風景の奥に函のように人が保つている場。個々の体験の深部を繋ぐ見えない川
が人間にも流れていると中村さんとSさんの事をそんな風に感じていた。