高臣大介展終わり搬出準備終わった後、ビールを飲んだ。彼の心配りである。
この後定山渓近くの小金湯温泉に行くという。嫁さんの亜紀さん、助手の純子
さんと4人で話が弾んだ。<うちの嫁です>と大介さんが亜紀さんを人に
紹介することに、亜紀さんが不満があるという話がでた。もっと別の言い方が
いう意見であった。お父さんやお母さんから呼ばれるならいいけれど・・・とい
いう事らしい。気持ちはなんとなく分かる気もしたが、私は大介さんがそう呼ぶ
男らしさを、感じていたので少し反論した。gla_glaという工房を背負って今
火災にも負けず生きている彼は、工房は自分の家のようなものでありその
家の女=嫁と呼ぶのは素直で男らしい、素晴らしいではないかというような
主旨であった。家というから封建的で、個人と見ていないように思うのだろうが
やはり男は構築的な生き物だから、彼の工房は家として厳として存在すると
思う。その家は自分が作り維持しているそんな自負心が自然とワイフや妻や
ハニーではなく嫁という言葉になる、そう私は感じていた。まして亜紀さんの
支えはただ家にいるだけの存在ではなく、仕事のつまり家業の重要な存在
スタッフでもあるから。ほら、女心の上に家の<うかんむり>で安心のあん
になるでしよう、と言ったらなにか分かったような分からないような顔をしていた。
そんな話をしたり、私の古い初恋の話をして終わった。
その後古川善盛さんのお葬式にいく。1970年代に札幌地下街のタウン誌
の編集をしていて、さっぽろ三代目をテーマに連載文を書かせて頂いた。
詩人でもある古川さんの第一詩集の出版記念会はここで行われた。
人形作家の古川糸央(しお)さんは娘さんで、2階ギヤラリーで数年個展を
なさっている。彼女の父上への尊敬、敬愛は深くこの出版とパーテイも彼女
の力によるものだった。全道から主だった詩人が50人ほども集まり、それ
ぞれの相反するグループも一同になって、盛会だった。善盛さんのお人柄
も勿論あったが、癖のある普段あまり一緒にならない人たちを仕切った糸央
さんの力は大した物だった。終わりの挨拶もキリリとして、あとで善盛さんが
”人前にでるのが嫌な娘なのに・・・”と吃驚していた。このパーテイーは今は
伝説のように語られる。もう故人となった人も多く、あんなメンバーが
一堂に会する事はもう二度とない。お葬式の終わり近く、赤ちやんを抱いた
糸央さんに挨拶された。きっと善盛さんも初孫見れて、満足だったろう。
親孝行でしたね娘さん最後までね、善盛さん。